ちゅぱお と ちゅぱみ と ちゅぱろう - へっぽこ父さんの育児日記 -
1歳児くんと兄妹のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^
2週間 (4) 
2008/09/24 Wed. 13:14 [edit]
9月11日 (木)
葬儀屋さんとの打ち合わせの後、家族で少し話してから眠りについたのが朝の5時。
しかし仲の良いお向かいのご近所さんらが、最初に駆けつけたのが朝の6時半。
1時間半の睡眠で今日が始まった。
朝、私は実家に飛んで来る前からずっと剃っていなかった髭を剃った。
そう、願かけはもう終わった。願いは叶ったのだから…
我が家のお墓があるお寺の住職さん、そして深夜に打ち合わせをした葬儀屋さん、
それぞれに連絡を入れ、お通夜、告別式、初七日等、葬儀の日程を決める。
その間、ご近所さんが続々といらっしゃるので、そちらも慌ただしくなる。
父さんは町内会の各役員に長らく在籍していたため、多方面で知り合いが多い。
町内が生まれた頃より40数年、ずっとここにいた。だからみんなが知っている。
朝早くからお線香をあげ、父さんの顔を見にきてくれる方々に、本当に感謝。
なお葬儀の日程は、お寺さんの都合、そして火葬場の予定により、
本来はお通夜を金曜、告別式を土曜にしたかったが、それぞれ一日ズレることに。
よって、お通夜が13日 (土)、告別式が14日 (日) に決まった。
そこでお昼に葬儀屋さんが再び訪れ、父さんを一時連れて行く。
一日空くこととなったので、エンバーミング (保存処理) を施すためだ。
エンバーミング後、帰ってきた父さんは驚くほど顔色が良かった。
本当に普通に寝ているような…、起きるのではないか? と思えるほどだった。
お線香をあげにきたご近所さん方も、みな驚いていた。
夜、京都から母さんの親戚が駆けつける。車で約8時間の大移動だったそう。
本当にご苦労様でした。私たちも京都の従兄弟と久しぶりに再会した。
みんないい歳になったよね。時代の移ろいを感じるのって、まさにこういう時か…
9月12日 (金)
葬儀日程が土日となったことで、今日一日の時間が生まれる。
しかしそれはとても大切な時間であった。
伴侶を失うこと、親を失うことは、とてもエネルギーのいるものだと痛感した。
それでも悲しみながらもやらなければならないことがある。それが現実。
喪主である母さんと長男を中心に、町会長さん、各班長さんを含め、
葬儀屋さんの各担当者らが、顔をつきあわせて葬儀内容をつめていく。
金額の面、内容の面、対応の面など、さまざまな事柄を話し合い、
父さんをより良いカタチで送り出す方法を決める。
時には意見の衝突があり、それぞれが譲れない主張を毅然と唱えた。
葬儀屋さんにも規定のルールがある、だが送り出す遺族にも強い思いがある。
そうした話し合いの末、やっと理想に近いカタチで出来ることとなった。
口利きをしてくれた町会長さんや班長さんにも、本当に感謝である。
そして長男としての責務を背負い頑張った兄に、心からありがとう。
兄が妥協をせず、しっかりと母さんを支え、いろんな取り決めを行なったから、
立派な葬儀を迎えられるのだと、弟である私は思っているからね。
またこの一日は父さんにとっても、とても大事な一日だった。
たった一日ではあるけれど、それでも病院からすぐに斎場へと移動するのではなく、
丸一日、愛すべき我が家にいられたんだ。これは “とても大切な” ことだと思う。
ずっと帰りたかった我が家での一日。父さんは堪能してくれただろうか?
9月13日 (土)
お通夜の日。
斎場へは午後4時に移動する。お通夜開始は午後6時。
だがその前にみんなで、父さんを自宅より送り出さなければならない。
午後2時。葬儀屋さんが訪れ、父さんの棺が部屋に運ばれた。
兄弟四人で父さんを抱え、棺の中へ。
そしてあの世への旅支度として、さまざまなものを形式に沿って入れていく。
その後、棺に一緒に入れたいものを入れてくださいと言われ、
父さんの作業着、愛用していたシャツ、入院中に使っていたタオル、大好きな新聞、
父さんが褒めた孫の絵、そして昨年、結婚40周年記念の時に撮った大家族写真。
また集まった孫たちも、それぞれひとつずつお菓子を入れてあげる。
我が子も、美味しくて昨晩3つも食べたお気に入りの洋菓子を、そっと入れてあげた。
父さんは甘いものが好きだったから、きっと喜んだだろう。
そして、みんなで棺を運び出して車に乗せ、父さんは一足先に斎場へと向かった。
私たちも喪服に着替え、斎場へ。
とても立派な斎場であり、立派な祭壇だった。これ以上はないだろう、と私は思う。
祭壇上の遺影の父さんは、いつもの笑顔で優しく微笑んでいた。
遺影は、結婚40周年の時の写真を選んだ。大勢の家族に囲まれて微笑む父さん。
妻、四人の息子、それぞれの嫁さん、そして六人の孫。本当に賑やかな大家族だ。
私は今の父さんと同じ70歳で、こんな大きな家族を作れているだろうか…
お通夜は滞りなく終った。
父さんの故郷である福島のご親戚、昔からの仕事仲間、呑み友達、町内会の方々、
仲の良いご近所さん、母さんの友人知人、息子達の仕事関係、そして親しい友達ら。
本当に多くの方がお通夜に参列して下さった。
こんなカタチで父さんの大きさを再認識させられるなんて、思わなかったよ。
やっぱり父親って偉大だね。
明日は告別式、本当に父さんとの最後の日、お別れの日だ。
9月14日 (日)
告別式の日。
朝早くから斎場へ。告別式と併せて初七日も一緒に執り行う。
だから斎場内でじっとしている時間が長い。
子供達は本当によく頑張った。お焼香も見よう見まねでなんとか出来た。
遺族代表として、長男が挨拶をした。とても立派な挨拶だった。
兄弟四人揃って看取れたこと、それは四人にとって大きな財産になるだろう。
いつまでも兄弟仲良く。父さんが伝えたかったことと、私たちの気持ちは同じだよ。
だから安心して見守っていてね。
棺の中にいっぱいの花を入れ、いっぱいの感謝を伝え、父さんを送り出す。
人間って、あっという間に姿カタチが無くなるものなんだね。
あの父さんがもうこの世にはいない、ということが実感として感じられない。
ここまで葬儀を行なっても実感できない。これが人の死なのだろうか…
父さんの人生は71年で幕を閉じた。人によっては “まだ早い” と思うかも知れない。
でも父さんは人生を満喫し、大家族に恵まれ、息子らに看取られながら世を去った。
「良い人生であり、良い父親であり、良い最後であった」 と思うべきだろう。
位牌を喪主である母さんが、遺骨を長男が、そして遺影を次男である私が持った。
遺影の中の微笑む父さんを見て、私のとなりにいた息子が呟いた。
息子 「おじいちゃんだね」
私 「そうだよ」
息子 「でもおじいちゃんいっちゃった、くろいくるまにのって、ひとりで…」
3歳の息子が何を見て、何を感じたのかは分からないけど、そうだったんだ…
でもお爺ちゃんはずーっと見てくれているんだよ。お空の上から。
みんなでワイワイと賑やかに送り出したのだから、父さんは笑顔でいるだろう。
これからは気兼ねなく美味しいものを食べ、ビールを気持ちよく呑んでほしい。
そして、居間でゴロ寝しながら茶菓子でも摘んで、テレビでも見ているように、
私たちの…、いやまだまだコロコロした孫たちの成長を眺めていてほしい。
残された私たちは、これからゆっくりと父さんが亡くなったことを実感するだろう。
それでも悲しみに捕われ過ぎず、しっかりと心を持たなければならない。
それぞれの家族があり、子供達がいて、みんなが笑顔を待っているのだから…
他の人にとっては、なんてことはない普通の2週間。
でも、私の人生にとっては、とても大きな、とても考えさせられた2週間だった。
そして父さんと過ごす最後の日々だった…
私はこの2週間を、ずっと忘れることはないだろう。
父さん、今まで本当に、本当にありがとう。
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category: 雑記 - 少しまじめに語る
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