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ちゅぱお と ちゅぱみ と ちゅぱろう - へっぽこ父さんの育児日記 -

1歳児くんと兄妹のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^

2週間 (3)  


9月10日 (水)

早朝、母さんと交代した。母さんは今日一日、仕事をお休みにしたという。
私は昨晩の様子を伝えた。まだ父さんのヒキツケは治まっていない。

その父さんの苦しそうなヒキツケの姿を見て、母さんが嘆いた。
たとえ遠方の親戚でも、仲の良かったご近所さんでも、
もし今日父さんをお見舞いしたいと言ってきても、全て断わる、と…

長年連れ添ってきた伴侶の苦しむ姿を、多くの人に見てもらいたくない。
みんなには、まだ穏やかだった頃の夫の記憶のままでいてほしい。

そんな母さんの気持ちが、痛いほどに伝わってきた。

仕事を一日お休みとし、母さんは病院にいて、ずっと父さんに付き添った。
のちに、この夫婦だけの時間はとても大事だったことになる…

話せるわけじゃないけど、たぶん父さんと母さんはいっぱい話したんだろうな。
想像でしかないけど、私はそう思う。夫婦の絆って理屈じゃないと思うから。

夕方、母さんは主治医に声をかけられたそうだ。

話を聞くと、血圧、体温、心拍数等を考えると、今夜が一番危険であるという。
「連日、息子さんが泊まっておられますが、今夜は奥様の方が良いかもしれない」
と、医師が言ったそうだ。他の看護師も口を揃える。

これまでとは医師の態度が違う。発言からしても、本当に今夜が峠なのだろう…

四男夫婦が父さんを見てくれている間に、今夜どうするかを集まって話した。
私は昨日泊まっているから連日は厳しいだろう、と、長男が今夜の泊まりを申し出る。
母さんは今日一日病院にいるし、やはり泊まり込みで無理をさせられない。

そこで四男夫婦にそのまま見ていてもらい、夕食後に一旦解散する。

それぞれ自宅へと帰ったが、何をするでもなくそれほどの時間は無かった。
病院にいる四男から連絡が入り、慌てて車に飛び乗る。

病院に四男夫婦、そこに長男、三男と駆けつけ、最後に私と母さんが到着した。
それぞれの奥さんは、それぞれ小さい子供を抱えているので、自宅で待機に。

父さんは、随分と落ち着いた様子で静かにゆっくりと呼吸をしている。
しかし、もろもろの数値は下がっており、安心できない。

私は昨晩の苦しい父さんの姿を見ているから、それを思うととても穏やかに見えるが、
反対に考えれば “そういった状態” すらももう越えてしまった、ということなのか。

最初に透析が出来なくなった時に、母さんらは医師に呼ばれ、
「状態からみると、恐らく苦しまずに、眠るようにすーっと逝ってしまうでしょう」
という説明を受けたそうだ。

今、父さんはそこへゆっくりと向かっている、と見るべきなのか…

それでも少し数値が安定した。ここ数日のように、今夜も無事に越えるのではないか?
また昨日と同じ明日が来て、どのように交代しようか、なんて話になるのではないか?

ちょっとした安堵感が生まれ、母さんと四男の奥さんが一旦、自宅へと戻る。

病室は父さんと、その息子の四人兄弟だけになった。

なんか父さん、実家の居間でいつものようにゴロ寝してる感じだね、と笑った。
こうして親子で揃っているのなら、ビールの一杯でも呑むのにな、とつぶやく。
翌日の9月11日は、実は長男家の結婚記念日。時計を見る。そろそろ日付が変わる。
忘れてもらわないように、記念日に被るように頑張っているのか? と長男。
四人で笑う。こんな男ばかり四人に囲まれても嬉しくないだろうな、そこでまた笑う。

ベッドを囲み、たわいもないことを兄弟で語って、不謹慎にも笑いあった。
ウチの兄弟は本当に仲が良い。私にとっての兄弟とは、胸を張って自慢できる存在。
心からここにいる男達が、自分の兄弟で良かったと思う。

そして今、ココには確かに、父と息子達のかけがえのない時間があった。
振り返って思うと、それがたまらなく嬉しかったことに気付く。

長男の奥さんから聞いた話では、たとえ耳が聞こえなくなっていたとしても、
人は亡くなる前に “心の耳” が開き、ちゃんと周りの声が聞こえているのだという。

父さんには聞こえただろうか? あなたの息子たちがあなたを囲んで話し合う声が…
仲の良さは昔も今も変わらず、ずっと一緒だよ。だから、心配しないでね。

そうしていると日付が静かに変わり、運命の9月11日となった。



9月11日 (木) 深夜

本当にとても穏やかに呼吸をしていた父さん。だが、徐々に無呼吸となる。

「ちょっとちょっと呼吸してないよ」 「ほら、しっかり呼吸しなきゃ」 「父さん!」
肩や胸、頬を軽く叩き、父さんを刺激する。すると再び大きく呼吸をする。
思わずふーっと息を吐き、笑顔がこぼれる四人。兄弟四人揃っているのが心強い。

だが、無呼吸から戻るまでの時間があきらかに長い。もう父さんは限界だった。

そんな父子のやりとりが2~3回続いた後、父さんの呼吸が止まった…
「呼吸しなきゃダメだよ!」 と声をかけながらも、私達はみんな分かっていた。

頑張った、本当に頑張った。何度、危険な山を越えたか、何度、踏みとどまったか。

父さんはもう呼吸をしていない。涙が止まらない。

でも、手首を触ると微かに脈を感じる。胸を触る。心臓の鼓動も微かに伝わる!
まだ父さんは頑張っていた! 三男が自宅の母さんに電話を入れる。
待っているんだ、母さんが来るのを。そうだよ、結婚して40年連れ添ってきたんだ。

実家から15分。大した時間でもないのに、あまりにも長大な時を感じた…
その間、ずっと 「今、母さんが来るからね」 と声をかけ続けた。
そして母さんが到着する。父さんの心臓はまだ動いていた。ちゃんと待っていた。

妻子で父さんに 「ありがとう」 を伝える。そして、父さんは永遠の眠りについた。

平成20年9月11日 木曜日 午前1時38分 慢性腎不全 享年71歳

私は、兄弟たちそして母さんと共に、父さんの死に目に会えて、本当に良かった。
自分に人生をくれた父さんを、しっかり看取れたことを、心から誇りに思う。

そして、本当にバカげた選択肢で後悔をせず、今この場にいれることに感謝した。

それから少し経ち、四男の奥さん、そして長男の奥さんが駆けつけた。
看護師である長男の奥さんは、この病院の看護師だけに任せず、
父さんの身体を自分で拭いてあげたいと願い出て、病室に入っていった。

私はこの行為に心から感謝した。本当に父さんはみんなに愛されていたんだね。

私たちは深夜ではあるが、父さんの死を、それぞれ伝えるべきところへと連絡した。
そして病室の荷物をまとめ、葬儀屋さんに連絡を入れつつ、自宅へと帰る。

深夜3時。葬儀屋さんによって、父さんが帰ってきた。
ずっと一緒に住んできた我が家へ、そしてずっと帰りたかった我が家へ…

お帰りなさい、父さん。



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