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ちゅぱお と ちゅぱみ と ちゅぱろう - へっぽこ父さんの育児日記 -

1歳児くんと兄妹のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^

2週間 (2)  


9月7日 (日)

早朝6時に病院へ。昨晩、泊まり込みで父さんを見ていた長男と交代する。

これまで母さん、そして兄弟たちが交代して、毎日寝ずの番で看病していたそう。
本当に頭が下がる思いだ。今日からは次男である私にも任せて欲しい。
私は特別な扱いなどいらない。遠方から来たとか関係ない。兄弟はみな平等だ。

長男の報告では、昨日よりも呼吸が落ち着いて、血圧も少し戻ったそうだ。
しかし呼吸をするのが精一杯で、もう喋ってはくれない。

私が聞いた父さんの最後の言葉は、お盆の時の 「大丈夫だ」 だったが、
長男から教えてもらった父さんの最後の言葉は 「○○ (私の名前) は?」 だった。

数日前に、父さんの容態がおもわしくなく長男、三男、四男が顔を揃えていたとき、
そこに四兄弟で次男の私だけがいなかったので、私の名を口にしたそうだ…

父さんを見つめ、病室でひとり、私はぼろぼろと涙をこぼした。

私は今、ここにいる。
息子として声を掛け、手を握り、苦しそうなら背中をさすることも出来る距離にいる。

私は今、ここにいる。
だからこれまでずっと言えなかったこと、父さんに謝りたかったことをそっと独白した。

それは恐らく私の人生にとって、とても大事なことだったと思う。

日中、仲の良いご近所さんや、父さんの親戚の方が病院を訪れてくれた。
語りかける声、握るその手にしっかり反応できない。でも父さんは分かっているだろう。
長年付き合ってきた親しい方々の顔を、声を、思いを、忘れるはずがない。

父さん母さんは本当に多くの方と信頼関係を持ち、温かい町内に包まれている。
親しい方がたくさんいると、こういったときに心の頼りになるんだね。

「○○君も遠方から大変だったね」 と会う人みんなから優しい言葉をかけられた。
でも私自身は自分のことはどうでもよかった。大変でもなんでもない。
むしろ何も出来ず遠方に離れたままの方が苦痛だった。まったく比べるべくもない。

その後、私は実家に残してきた妻と子供達が心配だったので、一旦実家に戻り、
今夜は私が泊まり込みで見るため、子供達を寝かしつけた後、夜11:30に再び病院へ。

深夜、2時間おきに看護師が様子を見に来る。
呼吸は落ち着いてはいるが、血圧などはやはり徐々に低くなっている。

静まり返った病院。オレンジ色の予備灯だけの病室。ふと、ひとり不安を憶える。
父さんには、あとどれぐらいの時間が残されているのだろうか…



9月8日 (月)

平日の朝が来た。母さんが来たので、私は交代して実家に戻る予定だったが、
その前に母さんと一緒に、父さんの伸びた髪を切ってあげた。
短髪がよく似合う父さん。すっきりさせたことで、いつもの父さんのように見えた。

私の兄弟たちはそれぞれ仕事へと出かける。
近いうちに “必ず” 休みを取らなければならない日が来る。そう、必ず来るのだ…
だから誰かが父さんの様子を見ることができ、容態が落ち着いているようならば、
今のうちに職場に出て、出来る仕事を進めておいた方がよい。

私はそうすることができない立場。だからこそ今は、より多く父さんの傍らにいる。
自分がいることがみんなの安心に繋がる。そして息子として父親にできることをする。

それをするために来たのだから…

小さい子供を見つつ、また早めに仕事を上がりつつ、みんなが交代して父さんを見る。
ここにきて家族の多さが大きな支えになる。みんなの思いが伝わるかい? 父さん。

夜7時、病室にいる長男からメールが届く。血圧、体温が急激に下がったとのこと。
看護師である長男の奥さんが言う 「もう病院に行った方がいい」 と。

その時が来てしまったのか!? 父さん、まだみんな集まっていないよ!!
三男家、四男家にも出来る限り早く病院へ集まろう、と電話を掛ける。
私は妻と子供達を車に乗せ、病院へと向かった。15分の距離がもどかしい。

病院に着くと、四男夫婦がすでに来ていた。三男はまだ仕事帰りの電車の中。

付き添っていた長男に様子を聞く。どうやら嘔吐した後に急変したらしい。
その後、危険な状態からなんとか脱し、少し落ち着いたという。安堵するみんな。
だが血が混じった黒いものを吐いている。毒素はかなり上がってきているのだろう…

長男の奥さんがこの病院の看護師に代わり、父さんの呼吸を楽にさせるために、
丁寧に痰を出させようとする。ここの看護師よりも本当に頼りになる人だ。

そこで三男夫婦も到着し、みんなで父さんのベッドをぐるりと囲む。

不意に、とても可愛らしいしゃっくりをする父さん。
緊張が解けたからか、思わずみんなで笑ってしまう。不謹慎だけど嬉しかった。
父さんが、心配して集まったみんなに素敵な時間をくれたのかな?

そんな、人が持つ生命力、いや父さんの生命力を、家族みんなで感じた夜だった。

でも一応心配だから、今夜は長男が病院に泊まって様子を見ることにする。
しかし翌日はそのまま仕事に行くことになるのだから、
私が早朝に交代して、少しでも早く長男を家に帰れるようにしよう。

夜、寝るときに妻にそっと謝った。病院に行き通しで子供達も見れずにゴメン、と。
妻は優しく 「そんなことないよ、大丈夫だからね」 と言ってくれた。
その言葉に甘えるワケにはいかないが…、でも、支えになる言葉が嬉しかった。



9月9日 (火)

朝6時に交代して、午前中いっぱいは私が父さんを見ていた。
2時間おきに看護師が血圧等を計り、その数値を私がみんなにCCメールで送る。
昨晩よりも安定した数値なので、ひとまず安心。

しかし本来透析をする曜日だ。これで数えて5回も透析をしないことになる…
あえて死に向かって過ごさなければならない今とは、なんと残酷なのだろうか。

お昼は、仕事の合間に母さんが病院に立ち寄るので、そこで交代。
また三男の奥さんも、子供を幼稚園に迎えに行く前まで見に来てくれる。

お昼に実家へ帰った私は、じっと家で待っていた妻と子供達を連れ、
近くの広い遊具広場へと出掛けて子供達を遊ばせ、ファミレスでお昼を食べた。
ずっと実家に来ているのだ。少しは息抜き、気分転換をしないとね。

とても日が暑い。残暑はまだまだ続きそうだ。

夜。本当は三男が今夜は泊まるよ、と言ってくれていたのだが、
しかし、私は三男の代わりに自分が泊まると進言した。
様子が安定しているのなら、翌日出勤をしない私が泊まった方がいい。

三男が見てくれている間に、晩ご飯とお風呂、子供の寝かしつけを済ませ、
夜11時過ぎに病院へと交代に向かう。

父さんの様子が少しおかしい。一定の時間をおいて、ヒキツケのような感じになる。
全身に力を入れて身体をつっぱね、歯を食いしばるような仕草。非常に辛そうだ。
時間を計ると3~4分に1回の間隔で、このヒキツケがきている模様。

帰る予定だった三男も心配で、深夜しばらくふたりで様子を見る。

胃か、胸か? 毒素がどこまで上がってきているのか、自分たちには分からない。
だけど非常に深刻なところまできているのは確かだ。

ゆっくりしたテンポで優しく胸を叩き、「ゆっくり呼吸しよう」 と声を掛ける。
すると声が届いているのか、叩くリズムが伝わるのか、少し呼吸がゆっくりになる。
それで少しでも父さんが楽になれるのならと、そう思い、それを根気よく続けた。

結局、そのヒキツケは一晩続いた。

あれだけ全身で体力を使っていたのだから、相当疲れたことだろう。
ここまで苦しい思いをして、自らの死を迎えなければならないのだろうか…
そう思うと胸がぎゅっと苦しくなる。辛いよね、苦しいよね、父さん…

そして朝を迎え、父さんの71年の人生で最後の一日となった。



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