ちゅぱお と ちゅぱみ と ちゅぱろう - へっぽこ父さんの育児日記 -
1歳児くんと兄妹のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^
人の心 
2017/02/10 Fri. 12:42 [edit]
最近、子供たちが逞しくなったなぁ~と思う。年相応に考え方が深く、詳しく、細かくなり、
自分たちで出来ることや、判断・決断することが、どんどんしっかりしていくなぁ~と。
まぁ、ちゅぱおはこの春に中学生になるんだし、ちゅぱみだってもう10歳だもんね^^
ちゅぱおは、背丈もおかさんに近づき (ほぼ同じ?) いつの間にこんなに大きくなった?
ちゅぱみは、家族をよ~く見ており、そっと人知れず優しい手紙などで励ましてくれる。
親は子供のことを、ずっと小さい存在、拙い存在、助けるべき存在だと勝手に思ってるけど、
時には、親はその子供に助けられていることに気づいた方がいい。
そこにいてくれるだけで、傍で楽しく遊んでいるだけで、どれだけ心が救われることか^^
いや子供だけじゃない。自分の親しく大切な人たちが、いつも周りにいてくれるからこそ、
自分は自分であり続けられ、そうして人の存在、「人の心」 は守られているのだろう。
人の命は有限であり、言わば死へと向かって生きていると言っても過言ではない。
そう思うと 「命」 ってものすごく儚くて切ないもののように思えるが、実際そうなんだよね。
誰もが普段からそんなことを意識して生きているわけじゃないけど、それでも、
あるべきものがある、いるべき人がいる、それこそ明日も何も変わらずに…とは限らない。
世の中いつ何が起こるか分からず、未来は決して保証されてはいないのだから、
どれだけ気をつけたところで、人生良いことだけではなく、悪いこともまた等しく起こる。
大切な家族や肉親、身近な親族、親しい友人や同僚…、自分にとっての “いつもの人”
その人がいなくなった時、現実を受け入れられない自分に衝突し、やがて後悔する。
なんで、もっと、ちゃんと、こうできなかったんだろうか、ああ言えなかったんだろうかって。
後に悔いるから 「後悔」。こんなこと恐らく100万回くらい言われているだろうけど、
でも人間はそれを覚えない。覚えないから、後悔の二文字は永遠に人を蝕み続ける。
人は反省し成長する生き物。後悔を学び、過ちを正して、それを糧に次へ、前へと進もう!
…確かにそうなんだろうけど、でもやっぱり、後悔とは辛いもの。できればしたくはない。
人知の及ばない災害や突発的な事故などは、どうしようもないのかもしれないけど、
人がこしらえた後悔は、恐らく前兆があって、実はそれ自体に気づいていたりもするよね。
「この先、ここで、これをしたら、これを言ったら、もしかしたら後悔するかもしれない…」
もしもそうした分岐点に立ったなら、よく周りを見て、自分の歩んだ道を振り返ってほしい。
自分の周りには誰がいて、または大切な人は誰で、自分はどう思われているのか…
今までどう過ごして、これからどうしていきたいのか、どういう将来を夢描いているのか…
そう思えたら固まった思考から脱却し、きっと 「別の選択肢」 も考えられるようになる。
選択肢はひとつじゃない。ちゃんと考えればいくつも手があり、最善策だって埋もれている。
それが自分と、自分の周りの人にとって幸せの一手に成り得るのであれば、
試さない手はないよね。その一手のための努力は、みんなで惜しまない方がいいよね。
大切な人、親しい人とは、一日でも長く一時間でも多く、辛く切なく寂しく悲しい時ではなく、
嬉しく楽しく幸せな時間を共有したい。そうなれるような選択肢をよく考え選んでいこう^^
たった言葉ひとつ、行動ひとつが、どれだけ相手の心に傷をつけるか考えたことはある?
相手の事をよく考えず、しっかり思うこともなく、否定や批判や攻撃的な言葉ばかりを並べ、
さも自分は正義だと、自分は間違いないのだと、妄想に取りつかれた頭で責めたてる。
中には、自分が特別な人間であるかのように勘違いをし、他人を見下し続ける輩もいる。
相手にとって、どれだけの努力や決意の上に成り立った結果なのかを考えようともせず、
何も知らない他人が、名乗りもせず、文字や言葉で簡単に人を蔑み、傷つける時代。
もしも自分がされたら憤慨し、怒鳴り散らすようなことを、人は平気で他人にするんだよね。
テレビで言ってたけれど、そういう人は自分に誇れるものがなく卑屈な精神でいるから、
それこそ輝いて見える他人を羨ましく思い、その妬む心を隠すために否定や批判に走るって。
世間に認められている人と認められていない人。そんなものでもないんだろうけど、
「人をとやかく言う前に、まずは自分どーにかしろよ」 ってことだよね。まさしくブーメラン。
本当は、そうした無粋なことも後悔に繋がるべきなんだろうけど、でもそうはならない。
きっと誰にも咎められないようにしているだろうから、悔いることもなく、後悔に繋がらない。
いつか自分が誰かに同じことをされたら気づくの…かな? 因果応報を痛感しながら。
大切な家族でも同じようなことは度々起こる。親から子へ、夫から妻へ、またはその逆で。
つい言ってしまったひと言、やってしまった態度、取り返しのつかない行動…
大事な歯車が噛み合わなくなって、一枚岩のつもりでいても欠けてしまうことだってある。
人の心は感情に包まれている。いくら理屈をこねたところで、辿り着く結論は感情に基づき、
自分の心はどうなのか? 家族や我が子の心は? それに面と向かわなきゃならない。
当り前だよね。恋愛も結婚も出産も育児も成長も、全ては 「愛情」 という感情がエネルギー。
ただし怒るのも、嘆くのも、諦めるのも、嫌うのも、同じ感情だということを忘れてはならない。
失くして初めて気づくもの。それはたくさんある。どうして失くす前に気づけなかったのか…
これもまた後悔の二文字。場合によっては気づかずに終わることだってあるだろう。
人の心は強くなく、人の心は硬くなく、人の心は広くなく、人の心は決して自由ではない。
それでも弱く脆く狭く不自由な心の人間同士で、互いを助け補い合うのが夫婦であり、家族。
上手ではなく便利でもなく、お互いが完璧ではない不出来な存在だから必要なんだ。
ひとりでは生きられないからこそ、支え合い助け合う存在を得て、人生をまっとうするの。
おとさんはまさにこれ。ほんと大した人間ではなく、弱くて情けなくて、ひとりじゃダメすぎる。
だからおかさんと出会い、結婚して夫婦となり、子供がふたり生まれて4人家族になった。
どれだけおかさんに支えられたか分からない。どれだけ子供に助けられたか分からない。
当たり前のように、自分で何でもやれている、出来ている気でいても、その実、そうではない。
家族がそうしてくれるからこそ、力になり勇気となって、一歩ずつ前進できているんだ。
傍にいてくれることのありがたさ。笑顔を見せてくれることのありがたさ。家族のありがたさ。
早く気づいた方がいい。どれだけ力になってもらっているのかを、早く気づいた方がいい。
そして気づいたのなら感謝の気持ちを忘れてはならない。めいっぱい感謝をしよう^^
自分の人生は 「家族のためにある」 と思っている。
おかさんを、ちゅぱおを、ちゅぱみを、幸せにすることで、自分自身の幸せを大きく感じる。
もちろん出来ることには限りがあり、知恵も知識も物足りなく、世渡りなんてヘタだ^^;
それでも、その最大範囲で笑顔と愛情を贈り続けて、めいっぱいの幸せを感じさせようと思う。
そしてその気持ちを忘れることなく、怠けることなく、いつものことにしていこう!
そうしたら家族も自分もきっと幸せ。今年も来年も幸せで、はては人生までが幸せになる♪
いつか人生を振り返った時に、「あの時こうすればよかった…」 と、後悔をしないように。
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