ちゅぱお と ちゅぱみ - へっぽこ父さんの育児日記 -

愛すべき息子と娘のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^

記憶  


記憶。 かつて自分が経験した物事を心の中にとどめ、忘れずに覚えていること。

人は過去の記憶と共に生きている。誰にでも良い記憶、悪い記憶、いろんな記憶がある。
ずっと忘れないでいたいと思うこと、または、すぐにでも忘れてしまいたいと思うこと、
中には、忘れたくても忘れられないことだってある。

自分の意識や思考とは別に、何故か覚えてしまっていたり、忘れられないでいることって、
その時、瞬間的に、得た記憶を脳 (心?) に深く刻み込んだってことなのかな?
強い感情と結びついて覚えた記憶は、強く鮮明に残り、いつまでも覚えていたりするそう。
確かにそうかもしれない。色濃いエピソードというものは色濃く心に残るものだ。

でも、ふとした日常会話での、相手の言葉や表情などを克明に覚えていることってない?
自分にとっては特に重要な出来事でもないはずなのに、細かく覚えていたり、
逆にとっても楽しかった出来事なのに、ほとんど覚えていない思い出とか、たくさんある。

人の記憶って不思議だ。

短期記憶やら長期記憶、陳述記憶など、人の脳や記憶については調べられてはいるが、
思えば思うほど、考えれば考えるほど人間ってフクザツな生き物なんだなぁ~と思う。

その記憶。
ひとりで経験したことと相手がいたこととでは、同じ出来事でも立場によって記憶が異なる。
自分にとって良い記憶 (出来事) でも、必ずしも相手にとって良い記憶とは限らない。

誰かにとっては忘れられた記憶でも、一方の誰かにとっては生涯忘れられないこともある。

人は自分の心を守るために、嫌なことはすぐ忘れるようになっていると、どこかで聞いた。
研究に基づく話しなのか、ただの迷信の類いなのかは分からないけれど、
忘れることでその暗い記憶に囚われず、前を向いて明るく生きていこうとすることの大切さ、
それを謳っているのかもしれない。生き方も心も変われる、という希望に満ちた考え方。

人生は有限なのだから、時を無駄にせず、より有効に、楽しく幸せな時間を多く持ちたい。

でも、
自分が傷ついた嫌な出来事って、イヤでも覚えてしまって忘れられなくなる気がする…
ショックが大きければ大きいほど、ずっと残ってしまったりするものじゃないだろうか。
それこそ本人の自覚うんぬんは別にして、トラウマとして刻まれる記憶というものもある。

それと、自分に都合の悪い出来事って、忘れてしまうよう努力する思考回路ってない?
もしくは自分に都合の良いように記憶を改ざんし、事実とは異なる話しにしてしまう。
中には、自分の心を守るためではなく、犯した罪から逃れるためにウソを吹聴することも…

偽りの記憶。おとさんの身近の話しで、それを痛切に感じることがある。

嫌な出来事で心を痛め、暗い谷を落ちるようにし、長らく辛い日々を過ごしてきた人と、
その人を傷つけたくせに、自分のせいではないと言い、当たり前のような態度で接する人。
偽善に満ちた普段の言動、我が罪を他人のせいにして、自分は善人だと嘘ぶく人を、
私は許すことができない。

時間が解決する、という言葉がある。でも、時間が経過している間の苦悩を忘れてない?
どれくらいの時間が必要なのか、また、その間は冬眠してるとでも思ってる?

解決に向かうのは時間のおかげではなく、がんばって暗い谷底から少しずつ登ってきた、
他ならぬ本人の努力だ。嫌なことを忘れ、元気でありたいと願う、本人の意志だ。
一瞬で忘れりゃ苦労はしない。乗り越えるために、苦しい時間を耐えて過ごしてきたんだ。

それでも心の奥底では、刻まれた記憶が消えたわけではないし、拭えたわけでもない。
耐え難い言葉を吐きかけられた事実は確かに存在し、その記憶と共に生きている。

相手は自ら酷い言葉で溝を掘ったにも関わらず、そこに溝が無いかの如く接して来る。
傷つけた自覚が無いわけではないが、屁理屈でごまかし自分のせいではないことにする。
まったく呆れてものが言えない。一体どういう神経だろうか。

自分の事ばかりで他人を意識せず、軽率かつ傲慢な人ほど、人の痛みに気づかない。
自分は偉い、賢い、間違いない、だから自分が正しい。…そう妄言して生きている。
人様に迷惑をかけないのならばそれもいいだろう。勝手に自分の世界で王様ぶればいい。

だが、もう溝は埋まらない。傷つけられた心の溝は、その人では決して埋められない。
どう偽善ぶろうが屁理屈こねようが、自ら履き捨てた信用や愛情が、帰ってくることはない。

後悔は先に立たないからこそ、分別のある大人として、自分の言動に注意をするのだ。
カッとなったから…、イライラしたから…、思い通りにならなかったから…、つい…
だから何? そんな身勝手な理屈で人の心を傷つけていい道理などない。
バカか、と。 ふざけんな、と。 100ぺん言ってもどうせ理解できないだろうけど、言いたい。

人はお前のストレスを解消するための道具ではない。幼稚園から出直してこい!

それがたとえ親と子の関係であろうと、上司と部下の関係であろうと、何であろうとも、
相手を想う気持ちを欠いて、身勝手な暴言を振る舞っていいはずがない。
人の心を傷つけるべく放った言葉や表情、態度を、相手の記憶に深く刻み込んだくせに、
どういうトンデモ思考で自分はしていないとのたまえるのか? 非常識にも程がある。

誰かにとっては忘れられた記憶でも、一方の誰かにとっては生涯忘れられないこと…
ケースに当てはめれば、都合が悪いから身勝手な屁理屈で無かったことにしたい記憶と、
心を谷底に落とされ、周りの人と共に時間をかけて登ってきたけれど、忘れられない記憶。

言う側・傷つける側は一瞬。だけど言われた側・傷つけられた側は、一瞬では終わらない。
いい歳をした大人がそんなことすら分からないとは、まったくもって情けない限りだ…

そういう記憶の話。おとさんにとっては、決して許すことができない記憶。


普段はこうしたことは書かないのだけれど、どうしても思うところがあって書いた。
心に深く刻まれた記憶というものは、出来事自体が過去となっても、なかなか消えない。
おとさんは、その本人がこれまで、どれほど苦しんできたかを知っている。
本当に大変な時期もあった。幾つも大波を乗り越えてきた。それでも心の傷は癒えない。

平和で平凡で当たり前の日常。それがどれほど貴重で、幸せで、だけど難しいことか…
でも、それを求め、それを望むのは、これもまた人として当たり前のこと。

ならば消えないうちは、苦悩を上回るほどの嬉しい記憶、楽しい記憶で満たしてあげよう。
それで忘れられることもある。記憶の許容量をめいっぱいにさせて、追い出せばいい!

人の記憶って不思議なものだから、そうすることもまた、できるだろうと信じて。


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