ちゅぱお と ちゅぱみ - へっぽこ父さんの育児日記 -

愛すべき息子と娘のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^

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人生のステップ  


父さんの葬儀から2週間が経った。

本日9月27日は、実は父さんの誕生日。
享年は数え年で71歳となったけど、今日、満年齢でも71歳となった。
人生最後の2週間を終え、最初の2週間で誕生日が来るなんて、
ほんと人生って無情だね…

あれから私の夢には、しばしば母さんや兄弟家族ら、肉親が登場する。
外目には “もう大丈夫、元気だよ” という体を示していても、
自分が意識しない心の内では “その逆” ということなのだろうか。

「寂しくない」 と言ったら、そりゃウソだよ。

でも、そうした日々を重ねて、普段の日常を取り戻していくしかないんだ…


先日のお休みの日に、家族で久しぶりにドライブをした。
目指す目的地は、まだ結婚する前に私が初めてこちらの県を訪れた時に、
奥さんに連れて行ってもらったビーチ。もう7年ぶりぐらいになる。

言うなれば、私にとっての出発地点ってところだ。

車で約2時間。当時、一緒によく聞いていたジュディマリなんぞを流し、
夫婦でいろいろと話し、また親子でもいろいろと話した。
美味しいものを食べ、素敵な景色を眺め、本当に楽しいドライブだった^^

私の心が、そういった癒しの時間と空間を求めていたのだと思う。

そんな中、いつの間にかおかさんに写真を撮られていた。
私と子供たちの後ろ姿。

0925海

今、あらためて思い返すと、父さんは四人の息子たちに、
“同じ男として” 大きな背中をずーっと見せ続けてくれていたことに気づく。
これは男の成長過程において、とても大事なことだ。

父さんは家を3回も建て、その間に四人の子供を成人させ、巣立たせた。
だからといって仕事ばかりに捕らわれず、家族は常に一緒だった。
自分が大人になり所帯を持った今、それがいかに大変なことなのかがよく分かる。

一家を背負う大黒柱。それは内にも外にも頼りとなる、家庭の精神的な支柱。
そういった “力強く心強い存在” がいてこそ、家族は健全に育まれる。

いつか私も、自分の子供たちに大きな背中を見せてやらなければならない。
中身が備わった存在感の大きい背中となるまでには、まだまだ長い時間が必要だ。
それでも、自分の人生を賭けて大きな男となり、子供たちに見せてやろうと思う。

特に息子には、私よりも、父さんよりも、より大きな男になってほしいから…


よーし、ガンバロー! 悲しさ、寂しさはお腹いっぱい味わった。涙はもう十分だ。
笑顔になって、一緒にカッコイイ男になろうぜ、ちゅぱお^^

新しい一歩を力いっぱい元気に踏み込んで、さらなる未来へジャンプだ!!


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category: 雑記 - 少しまじめに語る

thread: 日常のひとコマ - janre: 育児

2週間 (4)  


9月11日 (木)

葬儀屋さんとの打ち合わせの後、家族で少し話してから眠りについたのが朝の5時。
しかし仲の良いお向かいのご近所さんらが、最初に駆けつけたのが朝の6時半。

1時間半の睡眠で今日が始まった。

朝、私は実家に飛んで来る前からずっと剃っていなかった髭を剃った。
そう、願かけはもう終わった。願いは叶ったのだから…

我が家のお墓があるお寺の住職さん、そして深夜に打ち合わせをした葬儀屋さん、
それぞれに連絡を入れ、お通夜、告別式、初七日等、葬儀の日程を決める。

その間、ご近所さんが続々といらっしゃるので、そちらも慌ただしくなる。
父さんは町内会の各役員に長らく在籍していたため、多方面で知り合いが多い。
町内が生まれた頃より40数年、ずっとここにいた。だからみんなが知っている。

朝早くからお線香をあげ、父さんの顔を見にきてくれる方々に、本当に感謝。

なお葬儀の日程は、お寺さんの都合、そして火葬場の予定により、
本来はお通夜を金曜、告別式を土曜にしたかったが、それぞれ一日ズレることに。

よって、お通夜が13日 (土)、告別式が14日 (日) に決まった。

そこでお昼に葬儀屋さんが再び訪れ、父さんを一時連れて行く。
一日空くこととなったので、エンバーミング (保存処理) を施すためだ。

エンバーミング後、帰ってきた父さんは驚くほど顔色が良かった。
本当に普通に寝ているような…、起きるのではないか? と思えるほどだった。
お線香をあげにきたご近所さん方も、みな驚いていた。

夜、京都から母さんの親戚が駆けつける。車で約8時間の大移動だったそう。
本当にご苦労様でした。私たちも京都の従兄弟と久しぶりに再会した。

みんないい歳になったよね。時代の移ろいを感じるのって、まさにこういう時か…



9月12日 (金)

葬儀日程が土日となったことで、今日一日の時間が生まれる。
しかしそれはとても大切な時間であった。

伴侶を失うこと、親を失うことは、とてもエネルギーのいるものだと痛感した。
それでも悲しみながらもやらなければならないことがある。それが現実。

喪主である母さんと長男を中心に、町会長さん、各班長さんを含め、
葬儀屋さんの各担当者らが、顔をつきあわせて葬儀内容をつめていく。

金額の面、内容の面、対応の面など、さまざまな事柄を話し合い、
父さんをより良いカタチで送り出す方法を決める。
時には意見の衝突があり、それぞれが譲れない主張を毅然と唱えた。

葬儀屋さんにも規定のルールがある、だが送り出す遺族にも強い思いがある。

そうした話し合いの末、やっと理想に近いカタチで出来ることとなった。
口利きをしてくれた町会長さんや班長さんにも、本当に感謝である。

そして長男としての責務を背負い頑張った兄に、心からありがとう。
兄が妥協をせず、しっかりと母さんを支え、いろんな取り決めを行なったから、
立派な葬儀を迎えられるのだと、弟である私は思っているからね。

またこの一日は父さんにとっても、とても大事な一日だった。

たった一日ではあるけれど、それでも病院からすぐに斎場へと移動するのではなく、
丸一日、愛すべき我が家にいられたんだ。これは “とても大切な” ことだと思う。

ずっと帰りたかった我が家での一日。父さんは堪能してくれただろうか?



9月13日 (土)

お通夜の日。

斎場へは午後4時に移動する。お通夜開始は午後6時。
だがその前にみんなで、父さんを自宅より送り出さなければならない。

午後2時。葬儀屋さんが訪れ、父さんの棺が部屋に運ばれた。
兄弟四人で父さんを抱え、棺の中へ。
そしてあの世への旅支度として、さまざまなものを形式に沿って入れていく。

その後、棺に一緒に入れたいものを入れてくださいと言われ、
父さんの作業着、愛用していたシャツ、入院中に使っていたタオル、大好きな新聞、
父さんが褒めた孫の絵、そして昨年、結婚40周年記念の時に撮った大家族写真。
また集まった孫たちも、それぞれひとつずつお菓子を入れてあげる。

我が子も、美味しくて昨晩3つも食べたお気に入りの洋菓子を、そっと入れてあげた。
父さんは甘いものが好きだったから、きっと喜んだだろう。

そして、みんなで棺を運び出して車に乗せ、父さんは一足先に斎場へと向かった。

私たちも喪服に着替え、斎場へ。
とても立派な斎場であり、立派な祭壇だった。これ以上はないだろう、と私は思う。

祭壇上の遺影の父さんは、いつもの笑顔で優しく微笑んでいた。
遺影は、結婚40周年の時の写真を選んだ。大勢の家族に囲まれて微笑む父さん。
妻、四人の息子、それぞれの嫁さん、そして六人の孫。本当に賑やかな大家族だ。

私は今の父さんと同じ70歳で、こんな大きな家族を作れているだろうか…

お通夜は滞りなく終った。
父さんの故郷である福島のご親戚、昔からの仕事仲間、呑み友達、町内会の方々、
仲の良いご近所さん、母さんの友人知人、息子達の仕事関係、そして親しい友達ら。
本当に多くの方がお通夜に参列して下さった。

こんなカタチで父さんの大きさを再認識させられるなんて、思わなかったよ。
やっぱり父親って偉大だね。

明日は告別式、本当に父さんとの最後の日、お別れの日だ。



9月14日 (日)

告別式の日。

朝早くから斎場へ。告別式と併せて初七日も一緒に執り行う。
だから斎場内でじっとしている時間が長い。
子供達は本当によく頑張った。お焼香も見よう見まねでなんとか出来た。

遺族代表として、長男が挨拶をした。とても立派な挨拶だった。
兄弟四人揃って看取れたこと、それは四人にとって大きな財産になるだろう。

いつまでも兄弟仲良く。父さんが伝えたかったことと、私たちの気持ちは同じだよ。
だから安心して見守っていてね。

棺の中にいっぱいの花を入れ、いっぱいの感謝を伝え、父さんを送り出す。

人間って、あっという間に姿カタチが無くなるものなんだね。
あの父さんがもうこの世にはいない、ということが実感として感じられない。
ここまで葬儀を行なっても実感できない。これが人の死なのだろうか…

父さんの人生は71年で幕を閉じた。人によっては “まだ早い” と思うかも知れない。
でも父さんは人生を満喫し、大家族に恵まれ、息子らに看取られながら世を去った。
「良い人生であり、良い父親であり、良い最後であった」 と思うべきだろう。

位牌を喪主である母さんが、遺骨を長男が、そして遺影を次男である私が持った。
遺影の中の微笑む父さんを見て、私のとなりにいた息子が呟いた。

息子 「おじいちゃんだね」
私  「そうだよ」
息子 「でもおじいちゃんいっちゃった、くろいくるまにのって、ひとりで…」

3歳の息子が何を見て、何を感じたのかは分からないけど、そうだったんだ…
でもお爺ちゃんはずーっと見てくれているんだよ。お空の上から。

みんなでワイワイと賑やかに送り出したのだから、父さんは笑顔でいるだろう。
これからは気兼ねなく美味しいものを食べ、ビールを気持ちよく呑んでほしい。

そして、居間でゴロ寝しながら茶菓子でも摘んで、テレビでも見ているように、
私たちの…、いやまだまだコロコロした孫たちの成長を眺めていてほしい。

残された私たちは、これからゆっくりと父さんが亡くなったことを実感するだろう。
それでも悲しみに捕われ過ぎず、しっかりと心を持たなければならない。
それぞれの家族があり、子供達がいて、みんなが笑顔を待っているのだから…

他の人にとっては、なんてことはない普通の2週間。
でも、私の人生にとっては、とても大きな、とても考えさせられた2週間だった。
そして父さんと過ごす最後の日々だった…

私はこの2週間を、ずっと忘れることはないだろう。

父さん、今まで本当に、本当にありがとう。



category: 雑記 - 少しまじめに語る

thread: 病気 - janre: 育児

2週間 (3)  


9月10日 (水)

早朝、母さんと交代した。母さんは今日一日、仕事をお休みにしたという。
私は昨晩の様子を伝えた。まだ父さんのヒキツケは治まっていない。

その父さんの苦しそうなヒキツケの姿を見て、母さんが嘆いた。
たとえ遠方の親戚でも、仲の良かったご近所さんでも、
もし今日父さんをお見舞いしたいと言ってきても、全て断わる、と…

長年連れ添ってきた伴侶の苦しむ姿を、多くの人に見てもらいたくない。
みんなには、まだ穏やかだった頃の夫の記憶のままでいてほしい。

そんな母さんの気持ちが、痛いほどに伝わってきた。

仕事を一日お休みとし、母さんは病院にいて、ずっと父さんに付き添った。
のちに、この夫婦だけの時間はとても大事だったことになる…

話せるわけじゃないけど、たぶん父さんと母さんはいっぱい話したんだろうな。
想像でしかないけど、私はそう思う。夫婦の絆って理屈じゃないと思うから。

夕方、母さんは主治医に声をかけられたそうだ。

話を聞くと、血圧、体温、心拍数等を考えると、今夜が一番危険であるという。
「連日、息子さんが泊まっておられますが、今夜は奥様の方が良いかもしれない」
と、医師が言ったそうだ。他の看護師も口を揃える。

これまでとは医師の態度が違う。発言からしても、本当に今夜が峠なのだろう…

四男夫婦が父さんを見てくれている間に、今夜どうするかを集まって話した。
私は昨日泊まっているから連日は厳しいだろう、と、長男が今夜の泊まりを申し出る。
母さんは今日一日病院にいるし、やはり泊まり込みで無理をさせられない。

そこで四男夫婦にそのまま見ていてもらい、夕食後に一旦解散する。

それぞれ自宅へと帰ったが、何をするでもなくそれほどの時間は無かった。
病院にいる四男から連絡が入り、慌てて車に飛び乗る。

病院に四男夫婦、そこに長男、三男と駆けつけ、最後に私と母さんが到着した。
それぞれの奥さんは、それぞれ小さい子供を抱えているので、自宅で待機に。

父さんは、随分と落ち着いた様子で静かにゆっくりと呼吸をしている。
しかし、もろもろの数値は下がっており、安心できない。

私は昨晩の苦しい父さんの姿を見ているから、それを思うととても穏やかに見えるが、
反対に考えれば “そういった状態” すらももう越えてしまった、ということなのか。

最初に透析が出来なくなった時に、母さんらは医師に呼ばれ、
「状態からみると、恐らく苦しまずに、眠るようにすーっと逝ってしまうでしょう」
という説明を受けたそうだ。

今、父さんはそこへゆっくりと向かっている、と見るべきなのか…

それでも少し数値が安定した。ここ数日のように、今夜も無事に越えるのではないか?
また昨日と同じ明日が来て、どのように交代しようか、なんて話になるのではないか?

ちょっとした安堵感が生まれ、母さんと四男の奥さんが一旦、自宅へと戻る。

病室は父さんと、その息子の四人兄弟だけになった。

なんか父さん、実家の居間でいつものようにゴロ寝してる感じだね、と笑った。
こうして親子で揃っているのなら、ビールの一杯でも呑むのにな、とつぶやく。
翌日の9月11日は、実は長男家の結婚記念日。時計を見る。そろそろ日付が変わる。
忘れてもらわないように、記念日に被るように頑張っているのか? と長男。
四人で笑う。こんな男ばかり四人に囲まれても嬉しくないだろうな、そこでまた笑う。

ベッドを囲み、たわいもないことを兄弟で語って、不謹慎にも笑いあった。
ウチの兄弟は本当に仲が良い。私にとっての兄弟とは、胸を張って自慢できる存在。
心からここにいる男達が、自分の兄弟で良かったと思う。

そして今、ココには確かに、父と息子達のかけがえのない時間があった。
振り返って思うと、それがたまらなく嬉しかったことに気付く。

長男の奥さんから聞いた話では、たとえ耳が聞こえなくなっていたとしても、
人は亡くなる前に “心の耳” が開き、ちゃんと周りの声が聞こえているのだという。

父さんには聞こえただろうか? あなたの息子たちがあなたを囲んで話し合う声が…
仲の良さは昔も今も変わらず、ずっと一緒だよ。だから、心配しないでね。

そうしていると日付が静かに変わり、運命の9月11日となった。



9月11日 (木) 深夜

本当にとても穏やかに呼吸をしていた父さん。だが、徐々に無呼吸となる。

「ちょっとちょっと呼吸してないよ」 「ほら、しっかり呼吸しなきゃ」 「父さん!」
肩や胸、頬を軽く叩き、父さんを刺激する。すると再び大きく呼吸をする。
思わずふーっと息を吐き、笑顔がこぼれる四人。兄弟四人揃っているのが心強い。

だが、無呼吸から戻るまでの時間があきらかに長い。もう父さんは限界だった。

そんな父子のやりとりが2~3回続いた後、父さんの呼吸が止まった…
「呼吸しなきゃダメだよ!」 と声をかけながらも、私達はみんな分かっていた。

頑張った、本当に頑張った。何度、危険な山を越えたか、何度、踏みとどまったか。

父さんはもう呼吸をしていない。涙が止まらない。

でも、手首を触ると微かに脈を感じる。胸を触る。心臓の鼓動も微かに伝わる!
まだ父さんは頑張っていた! 三男が自宅の母さんに電話を入れる。
待っているんだ、母さんが来るのを。そうだよ、結婚して40年連れ添ってきたんだ。

実家から15分。大した時間でもないのに、あまりにも長大な時を感じた…
その間、ずっと 「今、母さんが来るからね」 と声をかけ続けた。
そして母さんが到着する。父さんの心臓はまだ動いていた。ちゃんと待っていた。

妻子で父さんに 「ありがとう」 を伝える。そして、父さんは永遠の眠りについた。

平成20年9月11日 木曜日 午前1時38分 慢性腎不全 享年71歳

私は、兄弟たちそして母さんと共に、父さんの死に目に会えて、本当に良かった。
自分に人生をくれた父さんを、しっかり看取れたことを、心から誇りに思う。

そして、本当にバカげた選択肢で後悔をせず、今この場にいれることに感謝した。

それから少し経ち、四男の奥さん、そして長男の奥さんが駆けつけた。
看護師である長男の奥さんは、この病院の看護師だけに任せず、
父さんの身体を自分で拭いてあげたいと願い出て、病室に入っていった。

私はこの行為に心から感謝した。本当に父さんはみんなに愛されていたんだね。

私たちは深夜ではあるが、父さんの死を、それぞれ伝えるべきところへと連絡した。
そして病室の荷物をまとめ、葬儀屋さんに連絡を入れつつ、自宅へと帰る。

深夜3時。葬儀屋さんによって、父さんが帰ってきた。
ずっと一緒に住んできた我が家へ、そしてずっと帰りたかった我が家へ…

お帰りなさい、父さん。



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thread: 病気 - janre: 育児

2週間 (2)  


9月7日 (日)

早朝6時に病院へ。昨晩、泊まり込みで父さんを見ていた長男と交代する。

これまで母さん、そして兄弟たちが交代して、毎日寝ずの番で看病していたそう。
本当に頭が下がる思いだ。今日からは次男である私にも任せて欲しい。
私は特別な扱いなどいらない。遠方から来たとか関係ない。兄弟はみな平等だ。

長男の報告では、昨日よりも呼吸が落ち着いて、血圧も少し戻ったそうだ。
しかし呼吸をするのが精一杯で、もう喋ってはくれない。

私が聞いた父さんの最後の言葉は、お盆の時の 「大丈夫だ」 だったが、
長男から教えてもらった父さんの最後の言葉は 「○○ (私の名前) は?」 だった。

数日前に、父さんの容態がおもわしくなく長男、三男、四男が顔を揃えていたとき、
そこに四兄弟で次男の私だけがいなかったので、私の名を口にしたそうだ…

父さんを見つめ、病室でひとり、私はぼろぼろと涙をこぼした。

私は今、ここにいる。
息子として声を掛け、手を握り、苦しそうなら背中をさすることも出来る距離にいる。

私は今、ここにいる。
だからこれまでずっと言えなかったこと、父さんに謝りたかったことをそっと独白した。

それは恐らく私の人生にとって、とても大事なことだったと思う。

日中、仲の良いご近所さんや、父さんの親戚の方が病院を訪れてくれた。
語りかける声、握るその手にしっかり反応できない。でも父さんは分かっているだろう。
長年付き合ってきた親しい方々の顔を、声を、思いを、忘れるはずがない。

父さん母さんは本当に多くの方と信頼関係を持ち、温かい町内に包まれている。
親しい方がたくさんいると、こういったときに心の頼りになるんだね。

「○○君も遠方から大変だったね」 と会う人みんなから優しい言葉をかけられた。
でも私自身は自分のことはどうでもよかった。大変でもなんでもない。
むしろ何も出来ず遠方に離れたままの方が苦痛だった。まったく比べるべくもない。

その後、私は実家に残してきた妻と子供達が心配だったので、一旦実家に戻り、
今夜は私が泊まり込みで見るため、子供達を寝かしつけた後、夜11:30に再び病院へ。

深夜、2時間おきに看護師が様子を見に来る。
呼吸は落ち着いてはいるが、血圧などはやはり徐々に低くなっている。

静まり返った病院。オレンジ色の予備灯だけの病室。ふと、ひとり不安を憶える。
父さんには、あとどれぐらいの時間が残されているのだろうか…



9月8日 (月)

平日の朝が来た。母さんが来たので、私は交代して実家に戻る予定だったが、
その前に母さんと一緒に、父さんの伸びた髪を切ってあげた。
短髪がよく似合う父さん。すっきりさせたことで、いつもの父さんのように見えた。

私の兄弟たちはそれぞれ仕事へと出かける。
近いうちに “必ず” 休みを取らなければならない日が来る。そう、必ず来るのだ…
だから誰かが父さんの様子を見ることができ、容態が落ち着いているようならば、
今のうちに職場に出て、出来る仕事を進めておいた方がよい。

私はそうすることができない立場。だからこそ今は、より多く父さんの傍らにいる。
自分がいることがみんなの安心に繋がる。そして息子として父親にできることをする。

それをするために来たのだから…

小さい子供を見つつ、また早めに仕事を上がりつつ、みんなが交代して父さんを見る。
ここにきて家族の多さが大きな支えになる。みんなの思いが伝わるかい? 父さん。

夜7時、病室にいる長男からメールが届く。血圧、体温が急激に下がったとのこと。
看護師である長男の奥さんが言う 「もう病院に行った方がいい」 と。

その時が来てしまったのか!? 父さん、まだみんな集まっていないよ!!
三男家、四男家にも出来る限り早く病院へ集まろう、と電話を掛ける。
私は妻と子供達を車に乗せ、病院へと向かった。15分の距離がもどかしい。

病院に着くと、四男夫婦がすでに来ていた。三男はまだ仕事帰りの電車の中。

付き添っていた長男に様子を聞く。どうやら嘔吐した後に急変したらしい。
その後、危険な状態からなんとか脱し、少し落ち着いたという。安堵するみんな。
だが血が混じった黒いものを吐いている。毒素はかなり上がってきているのだろう…

長男の奥さんがこの病院の看護師に代わり、父さんの呼吸を楽にさせるために、
丁寧に痰を出させようとする。ここの看護師よりも本当に頼りになる人だ。

そこで三男夫婦も到着し、みんなで父さんのベッドをぐるりと囲む。

不意に、とても可愛らしいしゃっくりをする父さん。
緊張が解けたからか、思わずみんなで笑ってしまう。不謹慎だけど嬉しかった。
父さんが、心配して集まったみんなに素敵な時間をくれたのかな?

そんな、人が持つ生命力、いや父さんの生命力を、家族みんなで感じた夜だった。

でも一応心配だから、今夜は長男が病院に泊まって様子を見ることにする。
しかし翌日はそのまま仕事に行くことになるのだから、
私が早朝に交代して、少しでも早く長男を家に帰れるようにしよう。

夜、寝るときに妻にそっと謝った。病院に行き通しで子供達も見れずにゴメン、と。
妻は優しく 「そんなことないよ、大丈夫だからね」 と言ってくれた。
その言葉に甘えるワケにはいかないが…、でも、支えになる言葉が嬉しかった。



9月9日 (火)

朝6時に交代して、午前中いっぱいは私が父さんを見ていた。
2時間おきに看護師が血圧等を計り、その数値を私がみんなにCCメールで送る。
昨晩よりも安定した数値なので、ひとまず安心。

しかし本来透析をする曜日だ。これで数えて5回も透析をしないことになる…
あえて死に向かって過ごさなければならない今とは、なんと残酷なのだろうか。

お昼は、仕事の合間に母さんが病院に立ち寄るので、そこで交代。
また三男の奥さんも、子供を幼稚園に迎えに行く前まで見に来てくれる。

お昼に実家へ帰った私は、じっと家で待っていた妻と子供達を連れ、
近くの広い遊具広場へと出掛けて子供達を遊ばせ、ファミレスでお昼を食べた。
ずっと実家に来ているのだ。少しは息抜き、気分転換をしないとね。

とても日が暑い。残暑はまだまだ続きそうだ。

夜。本当は三男が今夜は泊まるよ、と言ってくれていたのだが、
しかし、私は三男の代わりに自分が泊まると進言した。
様子が安定しているのなら、翌日出勤をしない私が泊まった方がいい。

三男が見てくれている間に、晩ご飯とお風呂、子供の寝かしつけを済ませ、
夜11時過ぎに病院へと交代に向かう。

父さんの様子が少しおかしい。一定の時間をおいて、ヒキツケのような感じになる。
全身に力を入れて身体をつっぱね、歯を食いしばるような仕草。非常に辛そうだ。
時間を計ると3~4分に1回の間隔で、このヒキツケがきている模様。

帰る予定だった三男も心配で、深夜しばらくふたりで様子を見る。

胃か、胸か? 毒素がどこまで上がってきているのか、自分たちには分からない。
だけど非常に深刻なところまできているのは確かだ。

ゆっくりしたテンポで優しく胸を叩き、「ゆっくり呼吸しよう」 と声を掛ける。
すると声が届いているのか、叩くリズムが伝わるのか、少し呼吸がゆっくりになる。
それで少しでも父さんが楽になれるのならと、そう思い、それを根気よく続けた。

結局、そのヒキツケは一晩続いた。

あれだけ全身で体力を使っていたのだから、相当疲れたことだろう。
ここまで苦しい思いをして、自らの死を迎えなければならないのだろうか…
そう思うと胸がぎゅっと苦しくなる。辛いよね、苦しいよね、父さん…

そして朝を迎え、父さんの71年の人生で最後の一日となった。



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2週間 (1)  


9月1日 (月)

夜、母さんから連絡が入った。
先月の30日 (土) に、父さんの透析に必要なシャントが閉塞したという。

シャントとは、動脈から静脈へと直接血液を流すためのバイパス。
透析で多量の血液を取り出し綺麗な血液を身体に戻すため、これを必要とする。

父さんは約10年、糖尿病を患ってきた。
そして慢性の腎不全になり、週3回の透析が必要な身体となった。

だが、糖尿病は血液が固まりやすく、シャントが閉塞しやすいのだという。

今の父さんの容態で、新たなシャントを作るのは身体に負担が大きく危険とのこと。
つまりこれ以上は透析ができない、ということに…

私は医学に詳しくないが、腎不全の者が透析出来ないと身体の血液を綺麗に出来ず、
尿毒症を引き起こし、体内に毒素が溜まることで死に至ってしまうという。

父さんは今、その立場にあった。

医師は母さんに告げた。父さんはもってあと1~2週間の命です、と…



9月2日 (火)

翌日、私は父さんの切迫した容態を会社の上司に話した。

今日からの2週間。これは普通の人にとっては何のことはない平凡な日々だ。
しかし父さんにとっては、この世での “人生最後” の2週間となる…

個人で異なる時間の在り方。余命として与えられた時の重さ。

これを、報告を受ける側の人間がしっかり理解出来るか出来ないかによって、
私と父さんとの “残りの時間” が変わるだろう。

「こっちの事は全然大丈夫だから、何も気にせずすぐに行ってあげなさい」
といった、無条件で情の篤さが伝わる懐の深い言葉など、そこには無かった。

上司と話し合った結果、私はあくまでも父さんの 「危篤」 の報せを待つ身となり、
すぐに実家へと飛ぶことを断念した。

危篤の報せを受けた後に飛行機に乗り、1000kmの移動を経て会いに行く…
それは、親の死に目に会うな、ということと同意である。

息子として旅立つ父親にできる限りのことをしたい、と私は話したが、
「死に目に会えなくてゴメンと、親に謝る選択肢をどうして選べない?」 と言われた。
間にあえる時間があるのに “わざと間にあわず”、それで誰の心が救われる?

それはどんな道徳観、倫理観、人生観に基づかれた崇高なる思想で、
いったい世の中の誰が認める一般的な社会常識なんだ? 聞いたことも無い。

口八丁では取り繕えない切迫した状況でこそ “人の本質” というのは見えてくる。
普段がどうであろうと、土壇場での言動こそが、その人の本音なのだ。

そして良きも悪きも、人にした行為というものは、必ず回りまわって自分に還って来る。

仕事を選び親の死に目に会わないことを、私は凄いとも偉いとも立派とも思わない。
それが立派な人物像であるのなら、私は立派な人間になどならなくていい。



9月3日 (水) / 4日 (木)

日、一日と時は過ぎていく。母さんは、兄弟は、みんなは今どうしているのか?
父さんは病院のベッドの上で、残る人生を、何を思いどう過しているのか?

すぐに会えない距離が、これほど怖いものだとは思いもよらなかった…

自分は健康なはずなのに、めまいがし、吐き気をおぼえ、呼吸が辛くなる。
所帯を持つ者として強くあるべきはずなのに、ここにきてただの子供に返ったようだ。

妻や子供たちにも、不安を越え、辛い思いを与えてしまっていただろう。
家庭内に笑顔を生まず、妙にピリピリと不機嫌な父親。まったくもって最低である。

「危篤」 といった、誰もが何もできないタイミングで連絡をもらったワケではない。
少なくともまだ “何かが出来る” 時間を与えられている状態での、今。
どうしてそれが分からない? しょせん自分以外の他人事はそんなものなのか?

これでは覚悟もクソもない。ただのバカである。

会社の事情というものもある。それとは別に個人の考え方もまた全然違うだろう。
価値観の相違などと言っていたら、いつまでも平行線のまま交わることはない。

しかし切実な思いで話した相手の気持ちを、もう少し “理解する努力” をしてほしい。
上辺だけで分かったと勘違いせず、相手の内なる “本当の思い” を察してほしい。

目先のことではなく長期的に見て、相手にとって今、何が一番大事なのか?

自分ばかりを肯定して相手のことを受け入れず、その気持ちを分かろうとしない人に、
人は絶対についてきてはくれない。



9月5日 (金)

夜、母さんから再び連絡が入る。

血圧、体温、血糖値、血中酸素濃度、どれを見ても徐々に下がっており、
不整脈が続く中、嘔吐し、かなり危ない状態である、と知らされる。

病院で付き添う長男夫婦が、この週末にもう私を呼んだ方がいい、と言ったそうだ。
兄の奥さんは別の病院の看護師。そうプロである。知ったかぶりのシロウトではない。
その目から見て危険であると言う。来た方がいいと言う。そういう状況だった。

そうでなくても先週末に余命を宣告されて1週間経つ。もう先はない。

それでも母さんは、こっちの事情を考えてからどうするか決めるように、と口を添えた。
父さんの事があなたの人生の全てというワケではないのだから、と…

私は自分の胸にあらためて問う。自分にとっての親とは、どういった存在であったか。
それは最後に 「ごめん」 ではなく、心からの感謝で 「ありがとう」 を言ってあげたい人。

私はこれまでの自分の人生で、そういう親子関係を気づいてきたのだ。

後悔とは、その物事が全て終わった後に自分のした行いを振り返り、悔いることだ。
もし今回、私がこのまま予想しうる最悪の後悔を黙って経ていたら、
それは私だけではなく、今の我が家に関わる周りの人の後悔にも繋がったことだろう。

そういった瀬戸際であることを、分る人と分らない人がいる。

だが、今はまだ終わっていない。後悔を生まない選択肢がそこにある。
見えている後悔を後悔としないために、今の私ができること。それはひとつ…

危篤という知らせではないが、私は妻と話した後、明日、実家へ飛ぶことを決断した。
先の上司に連絡し、事の経緯を真剣に伝える。そして飛ぶ許可を得る。

先日の話のうえでの今である。恐らくしっかり得心があっての許可ではないだろう。
それでも許可を出した。許可を得た。後のことはどうであれ、この結果だけでよい。

明日だ。

父さん、あなたの息子、あなたの次男は、明日会いに行くよ。



9月6日 (土)

ふたりの子供のことを考え、早朝ではなく昼の飛行機を選んで飛ぶ。
そしてモノレール、JR線、タクシーと乗り継ぎ、実家に到着したのが午後4時。
荷物を置いて、実家の車で病院へ。

そして、父さんに会う。

お盆の時に会った父さんとは、また随分と違っていた。さらに活力が見えない。
目は虚ろであまり開けず、また呼吸は荒くいっぱいいっぱいである。

「父さん、帰ってきたよ」 私は声を掛け、手を握った。

頭を左右に揺らしながらも、父さんが私を見る。
目があったような気はするが、ちゃんと見えているかどうかは分からない。

それでも私は他の時間とは異なる “父さんの時間” に間に合った。

お盆の時に私に対して 「大丈夫だ」 と言ってくれたのは、
私が帰るまでちゃんと待ってる、ということだったのかもしれない。
私はそう信じた。

ありがとう、父さん。

しかし症状はかなり進んでいる。先月の30日 (土) に透析が出来なくなった。
透析は週3回、火・木・土曜となっている。
つまり30日から、9月2日 (火)、4日 (木)、6日(土) と、計4回出来ていない。
それだけ汚れた血液を出し、綺麗な血液を身体に送っていない、ということだ。

毒素は下から上へと順に巡りながら、徐々に身体を上がってくるという。
足はもう可哀相なくらい、いっぱいいっぱいに腫れていた…

それでも私は何の根拠もない言葉を発し、父さんの頭を軽く撫でた。

「大丈夫だよ父さん、大丈夫だ…」



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死去  


9月11日 木曜日 午前1時38分。

父さんが亡くなりました。



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