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ちゅぱお と ちゅぱみ と ちゅぱろう - へっぽこ父さんの育児日記 -

1歳児くんと兄妹のわんぱく日記。 でも、稀に趣味日記も書きますよ^^

2016年を想う  


毎年、年末最後の記事で、おとさんは 「年度変わりの記」 というものを書き留めてきた。
その年を振り返り、感じたこと、思ったこと、または起きたさまざまな出来事をまとめ、 
そうしたものを踏まえた上で、それを超えて新しい年を迎えようという、自分なりの総評だ。

毎年、良いことも悪いこともあり、また嬉しいことも悲しいこともある。人生は一喜一憂。

そうして過ごしてきた中で、自分の考えを書き留めることは、ある意味大事なことだと思う。
人は忘れる生き物。かつての気持ち、かつての決意、かつての考え方…
そうしたものを、読み返すことで気付き、振り返ることで再認識して、また前進していく…

壁にぶち当たった時、5年前の自分や10年前の自分はどう思い、どう過ごしたのか。
いろんなところに答えは隠されている。置き忘れたものがきっと見つかる。
おかさんへの、ちゅぱおへの、ちゅぱみへの、おとさんの想い。家族としての在り方。

今年も本当にいろいろあった。だからこそ、過去も含めてあらためて振り返ってみたい。


2008年はおとさんとおかさんの “結婚5周年” だった。初めて家族4人で沖縄に飛んだよね^^
おかさんの心が大きく苛まされていた辛い時期だったので、ひとつの気分転換に。
しかしその秋は、おとさんの父が亡くなった年でもある。

- 以下 「2008年を越える」 より抜粋 -

おとさんは優しさと厳しさをもって、口先だけ表っ面だけではない確かな愛情を、
家族にしっかり感じさせていこうと、昨年にも増して強く心に誓った。
好かれ役も嫌われ役も全部おとさんでOK。叱った分だけぎゅっと抱きしめよう!

幸も不幸も人の運命なんて、いつどこで何が起こるか誰にも分からない。

でも土壇場で、溢れんばかりの大きな愛情で家族を包み込める人間になろうと思う。
飾ることの出来ないその瞬間、その刹那に、人の本心は浮き出る。
だから心の成長が必要なんだ。愛する者への “愛情の成長” が必要なんだ。

おかさんには “出会った頃よりも今”、子供らには “生まれた頃よりも今”
日々の愛情の進化をもって、さらに温かく幸せな家庭を築いていくぞ!!


父親を亡くすことで、おとさんは身近に生と死を感じ、また他の人の醜い心にもあてられ、
愛情とは何か? を軸にさまざまな葛藤を経て、こう記したのかもしれない。
愛が無ければ家族じゃない。誰よりも深い愛があるからこそ、信じ合って生きていける。
偽りの愛情なんかで家庭を守ることはできない。と、おとさんは強く思う。


壁にぶち当たった2010年。苦悩は大きく、ほんと不器用な生き方しかできない男…^^;

- 以下 「2010年の反省」 より抜粋 -

心に積もり積もったもの…めいっぱい張りつめていたものに、しこたまやられちゃったね><
でもそれもこれも “自分自身” 。元気に明るくしようが暗く沈んでいようが、自分に変わりはない。
今年ほど自分が嫌に思えた年はないが、自分は自分だ。嫌なら変わろうと努力すればいい。

人生、なるようにしかならない。だけどそこに到るまでの努力を怠ったら、なるようにもなれない。

おとさんは、家族にも友達にも 「いつもポジティブにいこう!^^」 と口癖のように言っている。
でもその言葉は、自分自身への言葉でもあったんだ。それに痛烈に気づかされた今年…


おとさんは決して強い人間でも、良くできた人間でもない。自分自身でそれを理解している。
だからこそ壁に当たり、負けてしょげることもある。それは特別なことでもなんでもない。
いつも前向きに、いつもポジティブに…、なんてなかなかできないんだよ。そんなの分かってる。
それでもカラ元気でもいいから、自分にハッパをかける。それが必要な時ってあるんだ。

うまく立ち回れない自分に苛立ちつつ、苦労をかけたおかさんへの想いはこう綴っていた。

おかさん。

夫婦なんだから力にならなきゃ! 夫婦なんだから助けにならなきゃ! 俺は旦那なんだから…
そんなことばかり思っていた。でも、そうじゃない。
おかさんに出会い、おかさんを好きになって、ずっと力になりたくて、ずっと助けになりたくて…
そして、ずっと一緒に生きていきたいと思ったから、おとさんはおかさんと結婚したんだ。

夫婦だからするんじゃない。そうしたいから夫婦になったんだ。


ちょっと考えれば気づくこと。シンプルに思えば分かること。自分にとってのおかさん。
それは結婚する前から一緒に生きていきたいと思った人。だから結婚し、それが人生となった。
他の誰かではなく、この広い世界にたったひとりしかいない。そんな奇跡的な存在。


そうした想いで2012年に贈ったスイートテンダイヤモンド。その夫婦としての心境に繋がる。

- 以下 「2012年の変化」 より抜粋 -

かつて、結婚してまだ間もない頃、おとさんはおかさんからこんな言葉を聞いたことがある。
「自分で唯一選べる家族って、旦那さんだけなんだよね」

うん、確かにそうだ。生まれてくる時は親を選べず、また自分自身が生む子も選べない。
だけど、結婚し夫婦となる相手だけは、自分自身でしっかり選べる、唯一の存在。
そうして選び、また選んでもらい、10年もの間、一緒に過ごしてきたんだね。

おとさんはおかさんに選んでもらって良かったです^^ ありがとう、おかさん。

そうして過ごしてきたけれど、でもここはあくまで通過点。この先、何十年という人生がある。
次は銀婚式、15年後だね。その時にはちゅぱおもちゅぱみも成人を迎えている。
今はまだやっかましいチビどもだけど (w) きっと立派な男性と女性に成長しているだろう。
そんな息子と娘に祝って貰える銀婚式。恐らく、照れくさそうに笑っているんだろうなw


夫婦であること、家庭を築くこと、子供を育てること、家族であること、そして生きていくこと。
ごくごく普通なようだけど、決して当り前でも、簡単なことでもない。
その第一歩である “結婚相手” として “伴侶” として、おとさんを選んでくれたこと。
そして宝石のような、ちゅぱおとちゅぱみを生んでくれた。その全てが感謝でしかない。

もう一度言おう! おかさん、選んでくれてありがとう。

おとさんは、おかさんが大好きだった今は亡きおじいちゃん、おばあちゃんに誓った。
僕が必ず幸せにします、と。 安心して任せてください、と。
空の彼方から、あの優しい笑顔で眺めてくれていますか? 曾孫たちも大きく育ちましたよ^^


そして我が家は走る家族。よく人生は “マラソン” に例えられる。

- 以下 「2014年を走る」 より抜粋 -

人生というマラソンで分かれ道に差し掛かった時、思慮をせず自ら悪路を選んだのなら、
たとえ 「この道は走るのキツイ。やっぱりやめとけばよかった…><」 と嘆いたところで、
選んだのは自分自身。自分の責任であり、他の誰かに文句は言えない。
そして人生は一方通行。通り過ぎてしまった分岐点には、そう都合よくは戻れない。
だから、ロクに考えず軽はずみな行動ばかりしていると、時に人生を狂わせてしまうのだ。

人は皆、当たり前のように生きているが、決してベルトコンベアーのように進むのではない。
自分の足で歩み、その中の様々な選択肢、様々な分岐点で、決断を迫られて生きる。
大小いろんなことを、都度、自分が決めていかなければならない。人のせいにはできない。
だからこその自分の一生。他に替えられない、一度きりの自分の人生だ。

できるならば、その選択のたびに、さらに “ひとつ先” の未来を思慮するようにしてほしい。
その言葉、その行動、その態度、その決断…それをした時、その先はどうなるのか? を。
自分が、決して暖かな道を踏み外さず、決して平凡な幸せを逃すことのないよう、
肝に銘じて一年一年を歩んでいけたら、きっと良い明日が、良い未来が待っているはず^^


気の迷い、心の乱れ、魔が差し、過ちを犯すことはある。間違いは誰にでもある。
だけど、自らが意識的にあえて道を踏み外すのはどうか? それは別の話じゃないかな。

波乱万丈な人生を歩みたいのなら簡単だ。常識も良心も捨てて事件でも起こしゃあいい。
きっと想像を超える悪路を走れるだろう。たとえ後悔をしても自業自得、後の祭りだ。
安穏と築き上げてきた幸せだって、壊そうと思えば簡単に壊すことができる。
で、人によっては、自分勝手に招いたくせに、他人のせいにして悲劇を演じたりするんだ。

でもね、いつの間にか “壊れた” ものというのは、直す意欲や直る可能性もあるけれど、
自ら “壊した” ものは直らないんだよ。仮に直せたとしても、元には戻らない。

逆に、平凡で平坦で平穏で 「平和な道」 を歩んで生きていくことは、実は一番難しい。
誰もがそれを望んでいるけど、難しいに決まってる。ひとりでは到底築けないもの。
だから、想い合う親子がいて、信じ合う夫婦がいて、支え合う家族がいるんじゃないか。

そんな家族でも、幸せだけを運んできてくれるわけではない。不幸せなことだってある。
それでもそれも人生であることを肝に銘じ、心で話し合い、解決して生きていこう!
道は、切り開こうと思う者にしか切り開けず、歩もうと思う者にしか歩めないのだから。


我が家は一緒に歩き、共に走り、幸せを分け合って、そろそろ中間地点…かな?
この先、ちゅぱおやちゅぱみに好きな人が現れ、家族となり、いずれ新たな命が育まれる。

そうして走り方が変わっても、心はひとつ。きっと同じ方向を向いて、走っているさ^^


今年一年を通して思い返すと、おかさんや子供たちにたくさんの苦労をかけたと思う。
家庭の何かがズレている場合、修正すべき立場であるはずのおとさんがうまくできずに、
そのズレが、いつの間にか溝となったこともあっただろう。

個人の考え方は異なるのだから、恐らく100%理想の家庭とか幸せなんてものは無い。
それが普通で、70%とか80%とか、少し足りないけれどその平凡な幸せを守り、
絆を深めて、いろんな困難を一緒に乗り越えていくのが夫婦であり、家族なんだと思う。

我が家は、高く望まず、無理を言わず、及第点の幸せをずっと維持していくのが願い。

おとさんはこうした性格だから、世渡りもうまくなく、どちらかと言うと損をしやすい^^;
それでも、人を騙すより騙される側で、裏切るより裏切られる側で、生きていきたいと思う。
正直に、誠実に、笑顔で、愛すべき家族と共に生きていきたい。
世の中、信じてくれている人を偽り、嘲り、平気な顔してウソをつく汚い人間もいるけど、
きっと幸せも安らぎも得られないだろうね。自分の存在がたまらなく嫌に思えるだろうから…

傍にいてくれる大切な人の笑顔に応える、自分の笑顔は、いつまでもピュアでありたい。
そして、自分の好きな人と自分の魂に、恥じることのない生き方をしていきたい。


「年度替わりの記」 を記すのもこれが最後。だからこそ、今年のまとめに限らず、
これまでの歩みやこれからの将来に想いを馳せ、願いも込めて、思いの丈を書き綴った。

もうすぐ新しい年が来る。
ちゅぱおは中学へと上がり、新しい学校生活が始まる。ちゅぱみも小学5年生に進級。
そうした新しい年にひとつ、またひとつと新しい要素を増やし、新しい我が家を構築する!
まさしくニューイヤー。そのニューイヤーを限りなく “ハッピー” にしていこう♪

未来を明るく照らし、望む幸せを逃さないよう、おとさんはしっかりと舵取りをするから、
おかさん、これからも末永く、おとさんと子供たちを宜しくお願いします^^


2016年を経て、2017年へ。それでは皆様、よいお年を迎えられますように。


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2015年に生きる  


2015年。ひと昔前は近未来と言われていた時代。それが今。かつての未来を生きた今年。

SF映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 シリーズ3部作。その第2作目となるPART2で、
1985年に生きるマーティら主人公たちは、遥か未来の時代へとタイムスリップする。
その行き先が “2015年10月21日” 。そう、今年の10月だったのだ。
今年はBTTFシリーズの30周年記念。
映画監督及び制作スタッフたちは、かつて30年後の未来をこう想像していたってことだね。

さまざまな映画関係サイトが、映画の中で描かれた未来予想図と、今現在とを比較した。 
実現できていること、まだ実現できていないこと、そして遥かに予想を超えたこと…
いろいろあっただろうけれど、未来に向けて、世界も日々成長していることが良く分かる。


では、自分自身はこの30年で、自分が思い描く未来に向けて成長できただろうか?


まだまだ学生だったあの頃。部活に明け暮れ、遊びに没頭し、エネルギッシュに生きていた。
将来に不安などなく、当たり前のように明日が来て、来週が来て、来年が来て、
春は進級、夏は夏休み、秋は運動会、冬はお正月…何もかもが当たり前にやってくる日々。

でも、人の親となった今だからこそ分かる。それは決して当り前ではなかったということが。

当たり前の生活、当たり前の日々は、そう過ごせるために親の努力で作ってもらえていた。
親が我が子に当り前の日々を作るため、一生懸命、家庭を築き上げてきたからこそ、
普通に学校に通い、勉強や運動に励み、多くの人に出会い、社会人へと成長できたのだ。

子供は、徐々に成長してやがて反抗期を迎えると、いっぱしの大人になった気になり、
自分の親に偉そうな能書きをたれることがある。自分の失敗を親のせいにすることがある。
挙げ句、親を親とも思わない暴言や暴力を振りかざす道に進んでしまう子も、いる。

そういうことは大小に関わらず、誰もが成長する過程で少なからず経験する。
でもそれは精神が、心が、まだまだ未成熟で足りないからだ。深く考えが及ばないからだ。

だが、いずれ義務教育を終え、成人を迎え、社会に出てさまざまなことを学び、
親元を離れ、結婚をして所帯を持ち、子供を授かって親の立場となったときに、必ず分かる。
自分が子育てを始め、我が子との日々を過ごすようになったら、否が応にも分かる。
自分の親が “いかに自分のために頑張ってくれていたのか” ということが。

子供は、出来る限り早くそれに気づいた方がいい。そして、親に感謝しなければならない。

「孝行のしたい時分に親はなし」 という言葉がある。
親の気持ちや有り難さが分かる年頃になって孝行したいと思っても、親はこの世にはいない。
…ということわざだ。親が生きているうちに孝行せよという戒めの言葉。

2008年9月に亡くなった父さん。晩年、自分は父さんにどこまで孝行ができていただろうか。
また遠方に住み、年に一度しか顔見せできない母さん。孝行が足りないのではないか。

かつて過去を生き、そして現在を生き、やがて未来を生きる。

ふたりの子を持つ父親として、日々頑張っているつもりではあるけれど、まだまだだ。
自分の父さん母さんと比べると、まだまだ。いかに自分の両親が偉大だったのかが分かる。
やんちゃな男4人兄弟を育ててくれた苦労。並々ならぬものがあったはずだ。
でも、あの頃は理解できなかったことを、自分は今理解している。だからこそ、今がある。

30年前、子供であった自分を育ててくれた両親。その30年後、日々我が子を育てる自分。
人生とはそうした連続の一編なんだね。永く永く、永遠に続く繋がりのひとつ。
そして、さらに30年後の未来、我が子が人の親となって子供 (孫) を育てているのだろう^^


自分自身はこの30年で、未来に向けて成長できたか? 答えは 「はい」 だ。


たぶん、こうした意識を持ち、こうして言葉として、文章として、思考を紡いでいる時点で、
成長してると言えるのだと思う。していなかったら、こんなことすらまだ書けないだろう。

親がなくては自分は生まれず、過去がなくては現在も生まれない。そして未来もない。
それを理解し、感謝し、全部踏まえたうえで、僕らは未来に生きていく。
親元から巣立ち、過去に縛られず、自分の意志という大きな翼を広げて、未来に羽ばたく。

映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 PART3の中で、ドクが言う。 「未来は白紙だよ」 と。
そう、未来というキャンバスには何も描かれていない。何も決められていない。
自分のキャンバスは誰かに描いてもらうためにあるんじゃなく、自分で描くためにあるんだ。

そうして、その自分が描いた未来の先に、我が子の未来や、子孫の未来が繋がっていく。

人は決してひとりで生きているのではない。常に周りのみんなと、家族と共に生きている。
自分によがり、周りに目を向けず、耳すら貸さない生き方だけは、してはいけない。

人は間違う生き物。人は失敗し、うまくできない。だけど、人は反省ができ、成長もする。
時には自分の失敗や反省から学び得たものを、次の代で活かす場合もあるかもしれない。

できれば良いことを継承し、正しい道を歩み、歩ませ、また良いことを継承させていきたい。
自分の幸せを望むのもそうだが、親としては、我が子の確かな幸せを切に願うから^^

またひとつ時は進み、かつて近未来と呼ばれた年を超えて、新しいステージが始まる。

迎えるは2016年。未知なる未来。それは我が子にとって、小学生最後の年。
あっという間の6年間。本当にいろいろあった6年間。そんな我が子の大切な少年時代。

それをどう実り豊かにするか、父親としていろいろ考え、自信を持って尽くしてあげよう!

自分の親も、ご先祖様も、ずっと前から皆、自分に自信を持って生き、家族に尽くしてきた。
自分も、自分自身の生き方に自信を持ち、自分と家族の未来を描いて生きよう。
その自分の背を見て、我が子もまた、自分の人生を未来を、描いて生きていくだろうから。


…と、そんな普段多忙に追われ、あまり考えない将来へのあり方を漠然と考えながら、
2015年を閉じたいと思います^^; まぁたまにはいいですよねw

2016年も良い年でありますように。
そして、皆様にも良いことがたくさんたくさん訪れる年でありますように☆




ところでタイムマシンって一体いつできるのだろうか…。まだまだ遥か未来かな?
願わくば、30年後の2045年には完成してないかなww
30年後に、今の自分に会いに来てみたい。いや、自分の少年時代に飛んでみたいな♪


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2014年を走る  


一年を通して全般的に苦労 (気苦労含む) の、し通しだったような気がする2014年^^;
思ってもないような出来事が発生、問題が発覚し、心身ともに疲弊したこと多々あり…

あれだねー、人生、生きて行く中で、本当に何が起こるか分からないもんだね。
そうした問題が解決、終了したわけではなく、現在進行形ってのがいやはやなんとも…

個人で生きていたら巡り会わず、悩まず、背負わず、もっとフリーダムだったかもしれない。
だけど、個人で生きていたら決して味わえなかった、喜び、楽しさ、温かさ、幸せもある。
「幸福と不幸は同じ数」 とか 「シーソーみたいなバランス」 とか言うけどさ、
ほんと良い事も悪い事もあるな~。どっちかに偏るときもあるけど、忘れた頃に逆がくる。

皆さんは今年はどうでしたか? 良くも悪くも、いろいろありましたか?

よく、人生はマラソンに例えられる。
おぎゃーと生まれたときに、本人の意思に関わらず、そのマラソンはスタートしてるんだ。
今、生きて人生を謳歌しているってことは、つまりマラソンに参加 “ナウ” ってこと^^
人生80年って考えたら、とてつもなく長いマラソンだね。
何かに躓くこともある。ふと寄り道することもある。また、立ち止まることだってあるだろう。
中には “走ることをやめてしまう人” だっている。

自分の意思でやめたのか、誰かにやめさせられたのか、何がやめる要因となったのか…

今年、おとさんの仕事関係の知人で亡くなった方がいた。
同じ年代の人だけど、独身貴族を悠々自適にオシャレに満喫し、人生を謳歌されていた。
同業者として、また同じ男としても、かっこいいな~っと尊敬を抱く存在でもあった。
だけど…、まだまだ人生これからなはずなのに亡くなられた。その理由は分からない。
軽やかに笑顔で前を走っていたのに、どこで道を間違え、どこで立ち止まったのだろう…
ほんと自分が望む望まないに関わらず、人生は何が起こるか分からないもの、だね。

「生き急ぐ」 という言葉がある。
人生、長いマラソンなのにそんなにしゃにむに全力で走ったらもたないよ、と思える走り方。
走り方も、ペースも、またひとりで走るか誰かと走るかも、人それぞれ。
でも無理くりに走ったら、どこかでバテるに決まっている。ずっと全力でなんて走れない。
無理をしたらいつか異常を感じ、限界に達し、どこかで普通にすら走れなくなる。

そうして疲れ、走れなくなり、立ち止まった時に…、あなたの隣りには誰かいますか?
誰かが待ち、誰かが声をかけ、誰かが励まし、誰かが手を差し伸べてくれますか?

何か (誰か) にうつつをぬかし、リズムが変わり、道を外れ、迷い、立ち止まったとしたら、
自分はかつて “どの道を (誰と) どのように走る” ことを選んだのか、思い出してほしい。

長い道のり、沿道に並ぶ外野からは、本当にいろんな言葉が降りかかってくる。
励ましの声援もあれば、悪口や中傷もある。甘い囁きの裏には危険な影も潜んでいる。
自分を守り、パートナーや家族も守り、地位や会社や友人など、大切なものを守るには、
悪しき心に惑わされず、悪しき思いに囚われず、騙されず、誘われず、乗らずに、
しっかりと地に足を着け、前を見据え、迷いなく、一歩一歩進むための強さが求められる。

だがしかし、そうして前を向いて走る中でも、人は徐々に変わってしまう生き物。

例えば恋愛。会えるだけでも話すだけでも、ただ嬉しくて、想いを大切に募ってきた相手。
でも付き合いだしたら欲が増え、当り前の存在に不平不満。あのトキメキはどこへやら…

例えば金銭。就活のときはとにかく仕事したい、とにかく稼ぎたい、頑張りたい! だった。
でも働き出したら仕事や上司に文句、給料にも不満を抱いて、早々に辞めてしまったり…

例えば家庭。自分が望んだ相手と、望んだ結婚、待望の出産に、夢描いた幸せな家庭。
なのにその幸せに胡坐をかき、驕り、怠慢、放置、浮気、虐待。平気で家庭不和に走る…

人は慣れ、人は甘え、人は驕り、人は欲し、人とは常に業と共に生きるものかもしれない。
だからこそそれを自覚し、それを律していくのもまた、人間なのではないか。
身勝手に欲に溺れ我を失った者を、都度助けてくれるほど周りの人はお人好しではない。
相互の理解、相互の信頼、そして、ふと忘れてしまった初心の気持ち、感情、思い…
己が人生、誰かと (もしくは家族と) 一緒に並走することを望み、その道を選んだのなら、
互いが意識し、互いが声を掛け合い、互いが思い合って走ることを忘れないでほしい。

隣りを走るその人は、ただ当り前にいるのではなく “あなたと走りたくて” いるのです。

長い道のり、時には良い事もあり、また悪い事も必ずある。うまくいったり失敗したり、
どうしようもなく嫌になるときだってあるだろう。でもそこで腐らず、病めず、諦めず、
次に来る良い事を楽しみにしよう。心待ちにしよう。もしくは良い風を呼びこんでやろう。
人生を好転させたいのなら、他人の努力ばかりアテにし、その上に胡坐をかかず、
己が頭を働かせ、己が足で走り、己が手で掴みとって、自分の努力で勝ち取らなきゃ。

並走は並走であって、おんぶや抱っこではない。どんなカタチであれ、自分で走るのだ。

そうして春を走り、夏を秋を冬を走り、自分の足で一年を通して走って行く中で、
いろんなものを見て、話して、家族の変化や成長を楽しみながら、次の一年へと向かう。
その繰り返し。マラソンとはそうした繰り返し。人生とはそうした繰り返し。
だからこそ、しかめっ面で苦しそうに辛そうに止めたそうに走り続けるのではなく、
出来る限り楽しく、ひとつでも笑顔で気持ちよく走っていければ、それが一番望ましい。

80年という長いマラソンなのだから、それこそ気長に楽しく笑顔で走らなきゃ、ですよね^^

我が家はおとさんも、おかさんも、ちゅぱおも、ちゅぱみも、心はひとつだと思う。
もちろん自分個人も大事だけれど、望み望まれ、こつこつとカタチにしてきた家庭だ。
ごく平凡な普通の家庭かもしれない。でも平凡こそ結構なことじゃないか^^
あえて起伏ばかりの峠道や刺激だらけの悪路を走りたい? そんなの身が持たないよ。

平らに舗装された、安心で陽だまりの 「平凡な道」 をのんびりと走るに限る♪

平凡、平穏、平和…。そうした “平ら” にこそ、作り上げ、守り続けることは難しい。
国と国、人と人、男と女、親と子。そうした互いの関係の “平和を維持” することの大変さ。
壊すのなんてそれこそカンタン。不満を吐き、悪態をつき、身勝手に振る舞ってりゃいい。
でもゼロから構築すること、また相手に好かれることは、並大抵のことではない。
自分の努力と共に、相手にも信頼され、お互いの足並みを揃えないと築き上げられない。

人によっては、影でウソをついたり裏では腹黒かったりと、そうした負の一面もあるだろう。
でもね、そんなのうまくダマせてるゴマかせてる…って思ってるのは自分だけ。
全部バレてるし、いつか問題になる。浅はかな人ほどそうして大事な関係性を崩壊させる。
己が嘆く事態を起こしておいて、振り返って “平凡な日々” を焦がれても、後の祭り。

人生というマラソンで分かれ道に差し掛かった時、思慮をせず自ら悪路を選んだのなら、
たとえ 「この道は走るのキツイ。やっぱりやめとけばよかった…><」 と嘆いたところで、
選んだのは自分自身。自分の責任であり、他の誰かに文句は言えない。
そして人生は一方通行。通り過ぎてしまった分岐点には、そう都合よくは戻れない。
だから、ロクに考えず軽はずみな行動ばかりしていると、時に人生を狂わせてしまうのだ。

人は皆、当たり前のように生きているが、決してベルトコンベアーのように進むのではない。
自分の足で歩み、その中の様々な選択肢、様々な分岐点で、決断を迫られて生きる。
大小いろんなことを、都度、自分が決めていかなければならない。人のせいにはできない。
だからこその自分の一生。他に替えられない、一度きりの自分の人生だ。

できるならば、その選択のたびに、さらに “ひとつ先” の未来を思慮するようにしてほしい。
その言葉、その行動、その態度、その決断…それをした時、その先はどうなるのか? を。
自分が、決して暖かな道を踏み外さず、決して平凡な幸せを逃すことのないよう、
肝に銘じて一年一年を歩んでいけたら、きっと良い明日が、良い未来が待っているはず^^

さぁ、2014年というコースを無事に走破し、次の2015年、新たなコースに入るぞ!
新しい年では、どんな物語が、どんな選択肢が、どんな未来が待ち構えているだろうか。
それらひとつひとつに、幸せを感じ笑顔になれるかどうかは、自分次第♪

2015年…ひと昔前の映画だったら近未来として描かれていた、2015年。
お互い、幸せな近未来を過ごせるよう願っております。来年も、どうぞ宜しくです!



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2013年の一歩  


2013年もそろそろオーラス。皆さんは、今年はどういった一年となったでしょうか?
我が家の今年は、女性陣にとって大きな “一歩” があった年、と言えます^^

ちゅぱみは無事に幼稚園を卒園し、元気よく小学校に入学。そして七五三のお祝い。
これから先、節目節目で思い出され、語られていくだろう、
「私が小学1年生の時は~」  「私の七五三を祝った時は~」  のまさに “その時” でした。

おとさんもおかさんもお兄ちゃんも、大好きすぎるちゅぱみw 家族への愛情は常に満天v
まぁいつまでも抱っこ虫のひっつき虫なのが玉にキズ。まだまだ甘えんぼさんですね^^;

そんなちゅぱみの成長に合わせ、人生の大切な時を共に笑顔で過ごすおかさん。

おかさんは体調の波が大きく上向き、明るく、とても良い一年だったのではないかと思う。
常に一歩引いた立ち位置で、自分をあまり肯定せず、どちらかと言えば消極的な性格だけど、
内外を問わず、前向きな発言・行動が増え、自然な笑顔で自信を持っているように見えた。
より良くありたい、と思う気持ちが自分自身の背中を押して、ゆっくり前進している感じ^^

そんな愛すべき家族を大きく包むおとさんにとっては、「いいねいいね!」 の連続でした。

おかさんとちゅぱみがニコニコでじゃれ合っている姿を見るだけで、心が温かくなる♪
特に今年はそれが顕著で、もう子供たちが構って欲しくて、やたらと甘えまくるw
おとさんにとって、これ以上に嬉しい光景はなく、おとさんが生涯をかけて守るべき光景だ。


だからこそ、そうした上昇傾向で明るい我が家に水を差すような輩には、本気で懸念を抱く。

誰の、何を、一番に思っているのか? それは口八丁で相手を言いくるめるものではない。
相手を思わず、言葉も聞かず、自分よがりの暴言を吐きかけ、負の感情をぶつけてきて、
それのどこが愛情表現か? 他人を認めない者は自分も認められないことくらい分かるだろ。

おとさんは、たとえ相手が誰であろうとも、おとさんが守るべき人を責める相手を許さない!


…が、そうしたおとさんの考え方や家族への思いを “微妙に感じ取っている男” がいる。
ちゅぱおだ。

ちゅぱおは3年生となり、妙に男らしくなった。反面、おかさんに甘えたりもしているけど^^;
それでも、ぐっと頼れる存在になったように思う。そして、家族への愛情も強く大きい。

おとさんが不在の時に、男として何かと頼りになり、力となって助け、家族を守る存在。
ちゅぱおは自分をそう思っている。そう思えることってすごい事じゃないかな?
そういった意味ではちゅぱおもまた、頼りがいのある男として “一歩” 前進してるんだね。

持久走大会の練習の時でもそう。寒くても苦しくてもへこたれずに頑張る姿を眺めて、
「随分と逞しく、また素直に、健全に、健康的に育ってくれたよね^^」 とおかさんと話した。

何が正しい育児とか、何が上手な子育てとか、そんなことは分からないけれど、
ごくごく一般的に当たり前のことをこなし、出来る限り子供に目を向け、言葉や行動で伝え、
普通のことかもしれないけれど、“一緒に過ごすことが大事” なんだなと常々思う。


「一緒に住む」 のと 「一緒に過ごす」 のは、まるで異なる。


世の中には、同じ屋根の下にいても、その実、一緒に過ごしていない家族もいるだろう。
また、たとえ別々に住んでいても、一緒に過ごすことを大事にしている家族もいる。
おとさんは後者の方が、より緊密な絆を作り、互いを大切に思えるのではないかと思う。

まさしくお互いの時間の共有。時間の共有とは “人生を共有” していることと同義。
家族や親子、兄弟姉妹、知人、同僚、お友達、そしてカップルで、
人生は有限だからこそ、自分の限られた時間を、誰とどのように過ごすのかが大事。

我が家は出来る限り、家族が中心。それは家族を愛しているから^^

大人 (親) は自分ばかりが偉く、自分ばかりを優先し、子供のことを軽んじがちだけど、
決して子供を疎かにしてはいけない。大人も子供も “時間” は等しく大切なのだから。
子供との時間をないがしろにする親は、いつか将来、子供との時間を得られなくなる…


先日、クリスマスの時に 「ほんっと、この家族でよかった^^」 と、ちゅぱおが言った。
おとさんは、思わず聞かされたそんな言葉に、小躍りしたいほど嬉しかった。


いずれ思春期や反抗期を迎え、また成人して、心の変化も紆余曲折あるだろうけれど、
その根底・深層には、常に家族を思う気持ちがしっかりと根付いていてくれると嬉しい。
だがそれには、今後も自分たち (親) のたゆまぬ愛と努力が必要だろうね^^

いつも厳しく叱り、時としてとてもおっかない存在に映っているであろう、おとさん。
だけど、それでも我が子から上記のような言葉を言って貰えるというのは、
おとさんもまた、ひとりの父親として “一歩” 成長しているということでいい…のかな?
褒めることと叱ること、うまくバランスがとれているのなら、それを維持していこう♪

そんなおとさん、つい昨日、強烈なめまいと吐き気で倒れ、病院で点滴を受けるはめに!
過労が祟ったのか? そこそこいい歳になってきたので健康には注意しなきゃだね^^;
いくら親子関係が良好でも、長生きしなきゃ将来一緒にお酒が飲めないからねぇ~w


2013年は、一歩前進するたびに、親子の在り方を考えさせられた一年でした。
だけど我が家はなんとなーく、大きくズレてはいないようで…まぁ及第点でしょう^^

そして、それぞれの一歩一歩の積み重ねが、個々の成長とお互いの絆に繋がり、
心の大きな支えとなって、いつまでも信頼し合える良い家族になれるのだと信じている。
来年は小学4年と小学2年。来年もそんな家族であるように、日々頑張ります!

それでは今年もいろいろとお世話になりました。2014年も宜しくお願いします^^



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2012年の変化  


なんだろう…、あっという間に2012年が終わろうとしている^^;
今年って過ぎるのが早くないですか? 時間の流れは同じなのに、なんでそう思うのかな?

今年は我が家は、少し変化があった年。

子ども会に入って、子ども会が主催する年間行事に、あれこれと参加するようになったこと。
また、県内で行われる市民マラソン大会に、親子で春・秋と2大会に出場して走ったこと。

平凡な家庭ではあるけれど、平凡な中にも変化があった。

別にスゴイ変化でも何でもないが、しかし確実に “外に向かって” 変化している。
自分が 「より良いように」 と前向きな行動をしていけば、家庭も家族も前向きに変化していく。
前向きとは、積極的なこと、意欲的なこと、肯定的なこと、建設的なこと、そして能動的なこと。

今年はそうしたスタンスでいこうと頑張ってきた。
内に籠らず、外に、外にいこう! 何事も前向きに意識高くチャレンジしていこう! と。
そうすればきっと、自分が知らなかった (もしくは忘れていた) もうひとりの自分に出逢える。

子ども会に参加して、地域の方との交流を図り、みんなで力を合わせて何かを成し遂げる。
また、自主的にマラソンに挑戦することで、体を鍛えるのはもとより、健康にも気を配る。
どちらも、してそうでしていなかったこと。簡単そうでできなかったこと。
そしてどちらも、内に籠っていたら絶対にできないこと。外に向かって初めて成し得ること。

他のご家庭、ご家族からみたら、取るに足らない当たり前のことかもしれない。
しかし、我が家にとっては “変化” と言えるくらいの、価値のあることだったように思う。

思うこと、言うことはカンタンだ。ただ思えばいいし、言えばいい。
でもそれを実際に行動に移すということは、思うよりも、言うよりも、遥かに難しい。
おとさんは今年、ただ思うだけ、ただ言うだけではなく、ちゃんと実際にやれたことに対して、
自分に対しても家族に対しても、良く評価したいと思う。

昨年にはなかった自分、昨年にはなかった家族であり、今年を語るに外せない出来事だ。


それと、語るに外せないことと言ったら年末最後のサプライズ、スイートテンダイヤモンド。

かつて耳にタコができるほど何度もCM等でリピートされ、脳内に刷り込まれて育った世代。
確か、「そのままでいい、そのままがいい」 ってフレーズだったよね^^
その当時は、遠い未来の事のような…いやむしろ他人事のように思っていただろうけど、
成長し結婚して、年を経て、自分にもそういう時期が来たんだなぁ~と、しみじみ実感します。

赤の他人だったふたりが結婚し、無事に10年という長い歳月を共に過ごしてきたんですよ?
それはそれは、すごい事ですよね^^

かつて、結婚してまだ間もない頃、おとさんはおかさんからこんな言葉を聞いたことがある。
「自分で唯一選べる家族って、旦那さんだけなんだよね」

うん、確かにそうだ。生まれてくる時は親を選べず、また自分自身が生む子も選べない。
だけど、結婚し夫婦となる相手だけは、自分自身でしっかり選べる、唯一の存在。
そうして選び、また選んでもらい、10年もの間、一緒に過ごしてきたんだね。

おとさんはおかさんに選んでもらって良かったです^^ ありがとう、おかさん。

そうして過ごしてきたけれど、でもここはあくまで通過点。この先、何十年という人生がある。
次は銀婚式、15年後だね。その時にはちゅぱおもちゅぱみも成人を迎えている。
今はまだやっかましいチビどもだけど (w) きっと立派な男性と女性に成長しているだろう。
そんな息子と娘に祝って貰える銀婚式。恐らく、照れくさそうに笑っているんだろうなw

さぁ、そのステキな通過点に向かってゆっくりと歩もう! 慌てて転ばないようにね^^


ちゅぱおは小学二年生から三年生へ、ちゅぱみはいよいよ来年の春に幼稚園を卒園する。
ずっとずっとお世話になってきた幼稚園を巣立つのは、家族揃って寂しいけれど、
大事な娘の成長に欠かせないこと。立ち止まるわけにはいかない。
そして “小学生の子をふたり持つ家庭” へと、我が家はひとつ、ステップアップしていく。

人生は立ち止まっていられるステージではない。どんなに歩みが遅かろうが、躊躇しようが、
必ず前へと歩んでいくのが人生だ。時が止まることは決して無い。
自分が立ち止まり何もしないでいても、時は進み、周りは変化し、人は成長していく。
であれば、時と共に自分も歩み、その時代時代で得る物事を受け入れていかねばならない。

自分の人生に常に潤いや感動を求め、ときめくような変化を望むのであれば、
己が足で大地を踏みしめ、自分の意思でしっかりと歩めばいい。自らが変化していけばいい。
たとえその歩みや変化がわずかであっても、きっと昨日の自分とは違う自分になれるから。

皆、そうだ。100人いれば100通り、1000人いれば1000通り、異なる人生を歩んでいるけど、
その誰もが皆、自分の人生を自分の力で歩み、喜怒哀楽を重ねて、日々を謳歌している。
後ろ向きな気持ちで嘆くのはやめ、明るい未来を掴むため、立ち止まらずに前へと歩もう。
積極的に、意欲的に、肯定的に、建設的に、そして能動的に…。前へ、外へと進んでいこう!

今年は我が家は、少し変化があった年。

だけど来年はその変化をもう少し大きく、もう少し広く、もう少し深くしていこうと思う。
今年よりも、さらにより良い自分、より良い家庭を目指して。
決して笑顔を忘れず、下を向かず、前向き精神、ポジティブシンキングで頑張りまっす!!


…といった感じを今年の総括とし、また来年も一歩一歩頑張って行こうと思います♪
それでは一足お先に良いお年を。そして、2013年も家族ともども、宜しくお願いします^^



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2011年を悔やむ  


もうすぐ2011年が終わる。世界的にもヨーロッパ、アラブ、アジアと大きな動きがあった。
しかし今年の日本のそれは、激動と言うにはあまりにも厳しい出来事だった。

M9.0の大地震による空前の津波、原発事故、さらにM5.0以上の余震が続いた東日本大震災。
日本を縦断し、とりわけ紀伊半島に多大な被害を与えた、記録的な大型台風12号、15号。
いったいどれほど多くの人が亡くなり、苦しみ、悲しみ、涙して、
どれほどの人の人生が、180度変わってしまったのか…。本当に恐ろしい年だったと振り返る…

今年の初め、誰もがこんな年になるとは思わなかった。

誰もが、家族や友人、親しい人たち、そして自分の最後の年になるなんて夢にも思わなかった。
もし、あの地震、あの津波、あの台風で、日常が一変してしまうことが分かっていたのなら、
もっともっとその日までの過ごし方を考え、もっともっとできたことがあったのかもしれない…

だが、幾ら嘆き悲しんでも、過ぎてしまったものはもう戻らない…


かつて、アメリカで起こった “9.11同時多発テロ” の時に、このような詩がありました。


『最後だとわかっていたなら』
(作・Norma Cornett Marek / 訳・佐川 睦)


あなたが眠りにつくのを見るのが 
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 
最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがえたことも やり直す機会が
いつも与えられている

「あなたを愛している」 と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」 と声をかけることも
いつだってできる

でも もし それがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろう
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」 や 「許してね」 や 「ありがとう」 や
「気にしないで」 を 伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



テレビの向こうで起きたこのテロ事件を、誰もが現実として受け入れる術を持ち合わせず、
さながらディザスタームービーでも観るが如く、漫然と眺めてはいなかっただろうか…

しかし今年、日本で起きた3.11大震災。そして今夏の大型台風。
そのどうしようもないほどの恐ろしい現実に直面し、
災害に巻き込まれた人も、またそうでない人も、皆、人生が大きく変わってしまった。

人は、常に上記の詩のような心構えで生きてはいない。
それほどの覚悟も決意も抱かず、もっと気軽に、気楽に、当たり前のように生きている。
しかしそうした、ごく当たり前の生活も、変わり映えのない平凡な日々も、
突然に終わり、無くなってしまうことがあるのだということを、決して忘れてはならない。

人生は有限だ。

だからこそ、自分自身や、自分が愛すべき人たち、そしてその人たちと過ごす時間を、
大切にしなければいけないのだ。
後悔をしないために。もしくは、振り返った時の後悔を最小限にとどめるために…


おかさん、ちゅぱお、ちゅぱみ。
私の家族は、私にはもったいないほどの素敵な家族。おとさんには、これ以上の家族はない。

日々の忙しさにかまけて、ふと、それを忘れる時がある。気付かない時もある。
それがどれほどもったいないことか、損をしていることかを、忘れないようにしようと思う。
おとさんは、我が家族を心から愛しているからね^^

今年は、いかに自分が幸せ者か、また幸せ者であったのかを感じる、そんな一年でした。

2011年、今年もいっぱいいっぱい、素敵な日々をありがとう。
そして2012年、来年もよろしくね♪



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2010年の反省  


2010年も終わりですね~、今年はとりわけ真夏の異常な暑さが印象に残る一年でした。
今年、我が家は特に大きな出来事はありませんでした。冠婚葬祭的な…
なので、あえて言うとしたら、ちゅぱおとちゅぱみが幼稚園を満喫した年、ですかね^^

それと、今年はおとさんとおかさんがはじめて出会ってから、記念すべき10年目の年でした♪


年が明けたらちゅぱおくんは、幼稚園での楽しい生活も残り3ヶ月となります。
ちゅぱおが大好きな、ほんとに大好きな幼稚園。その卒園。ちょっと…いやすごく悲しいかも…
このおとさんの気持ちは、折を見てじっくり書こうかと思います^^; (春に入る前くらいに

ちゅぱみちゃんは、よく喋り、よく歌い、よく踊り、よく読み、よく書き、そしてよく描いて、
とっても充実した一年でした。恐らく我が家の中で、今年一番成長したのはちゅぱみでしょう☆
2歳と3歳の差って大きいですね~。小さくってもいっぱしのガールなんですからw

そしておかさん。特に大きな行事もなく、例年よりまったりと過ごせた一年だったけれど、
でも…ほんと、いろいろ大変だったね。
言葉でいうのはカンタンだ。だけど、そんな言葉では済ませられない苦労があったと思う。

それは、陰に日向に家族が安心して頼れる存在であるべきおとさんが、そうなれなかったから…

心に積もり積もったもの…めいっぱい張りつめていたものに、しこたまやられちゃったね><
でもそれもこれも “自分自身” 。元気に明るくしようが暗く沈んでいようが、自分に変わりはない。
今年ほど自分が嫌に思えた年はないが、自分は自分だ。嫌なら変わろうと努力すればいい。

人生、なるようにしかならない。だけどそこに到るまでの努力を怠ったら、なるようにもなれない。

おとさんは、家族にも友達にも 「いつもポジティブにいこう!^^」 と口癖のように言っている。
でもその言葉は、自分自身への言葉でもあったんだ。それに痛烈に気づかされた今年…


おかさん。

夫婦なんだから力にならなきゃ! 夫婦なんだから助けにならなきゃ! 俺は旦那なんだから…
そんなことばかり思っていた。でも、そうじゃない。
おかさんに出会い、おかさんを好きになって、ずっと力になりたくて、ずっと助けになりたくて…
そして、ずっと一緒に生きていきたいと思ったから、おとさんはおかさんと結婚したんだ。

夫婦だからするんじゃない。そうしたいから夫婦になったんだ。


ちゅぱお、ちゅぱみ。

自分の子供だからしっかり教えなきゃ! 優しいだけじゃなく厳しくしなきゃ! 父親なんだから…
そんなことばかり思っていた。でも、そうじゃない。
世界一の愛情をもって育てたくて、そんな我が子に会いたくて、新しい家族を育んだんだ。
今その子が “そこにいてくれる” ことがどれだけの奇跡であるかを、ふと忘れてしまう。

君たちが、おとさんおかさんを選んで生まれてきてくれたことを、ずっと忘れない。


おとさんにとって、これ以上の家族はない。

幼稚園にきゃっきゃと通う我が子たち、そして出会ってから10年を迎えた自分たち夫婦。
きっと今って、“おとさんの生涯の中で一番幸せな時期” なんじゃないか、と思う。

どんなに忙しかろうが大変だろうが、そうした時だと気づけるようにしなきゃいけないね。

これからも悩み苦しむことがあるだろう。心が締め付けられるような思いだってあるかもしれない。
しかしそんなもの、生きてりゃ当たり前だ。自分だけじゃない誰だってそうだ。
誰もが生きていく中で、ひとつひとつ壁を越え、山を越えて、その先へと歩んで生きていくんだ。

程度は違っても決して、悩みがなく乗り越えるべきものもない人生を生きる人など、いない。

自分ひとりで乗り越えられなければ、家族が、親兄弟が、友人知人が、手を貸してくれる。
人間、ひとりで生きてるような気でいても、ひとりでは生きていないんだから。
焦ることなく、また急くことなく、手をつなぎ、一緒に一歩一歩確かめながら歩いて行こう。

誰に対しても、ただ 「頑張れ」 とは言わない。「一緒に頑張ろう」 と言う。それがおとさんだ。
頑張ってる人に頑張れというのは酷かもしれない。けど、一緒なら心強く伝わるだろうから。

みんな、幸せな人生に向かって、ガンバレ!! おとさんもそれに負けないくらいガンバル!!

作ったカラ元気でもいい。心から笑えなくてもいい。そうしたポジティブな気持ちを忘れなければ、
その笑顔はいつかきっとホンモノになる。そう信じてる。だから、シケた顔はもうやめよう^^

弱さを知って強くなる。おとさんは昨日の自分よりひとつ強くなった。みんなも必ず強くなれる!


来年は今年よりも、一回でも多く笑い、一分でも多く楽しみ、一日でも多く幸せを感じよう♪
そのひとつひとつの積み重ねが、自分と大切な人との素敵な人生に繋がるように…

今年一年ありがとうございました。来年も 『ちゅぱお と ちゅぱみ』 を宜しくお願いします☆


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2009年の終わり  


今年ももうすぐ終わりますね。我が家は例年の如く、年末年始は実家へ帰省するので、
今年のブログは、これが最後となります。皆様、お先に失礼しますね^^;

さて、いろいろあった今年。良いことも悪いこともそれぞれ同じくらいあり、
良い年だったとも、悪い年だったとも言えません。まぁその方がよいのかしら?

ちゅぱお、そしてちゅぱみが目覚ましく成長した一年でありましたが、
それをしっかり肌で感じ、ふたりの親として、自らを見直す年でもあったかもしれません。
とりわけ自分自身としては、“父親” というものをいろいろと考えさせられました。

おとさんは、子供をめいっぱい褒めますし、笑わせますが、めいっぱい叱りもします。
我が子を一番叱っているのは私でしょうね。つまり “一番怖い存在” だと思います^^;

大概は、子供らがあまりにも調子に乗りすぎて問題が起きた後に、ガツンと怒るので、
子供たちのテンションの落差は、それはそれは天国から地獄に近い状態w (可哀相です
でも、そうしなければもっと大きな事故等に繋がる場合もあるので、必要だと思います。

「おとさんは怒らせると怖い」 と覚えてもらうことが、ひとつの抑止力となります。

手で悪いことをしたらその手を叩きます。足で悪いことをしたらその足を叩きます。
何が悪かったのか、どの行為がいけなかったのか、時にはそれを痛みで教えることも大事。
怒られて泣く程度で済めば、それでいいのです。ヘタに怪我して泣くより遙かにいい。

そうした、“愛情を持った痛み” で教えてあげられるのは、親だけなのですから。

それと、おとさんは “ウソをつく” ことには厳しいです。悪いウソをついたら必ず叱ります。
いずれ成長していく中で、自分の心を守るため、もしくは相手の心をキズつけないため、
そういった場合で、悪意からではないウソを言うこともあるでしょう (必要とされるウソ、かな

ただしそれは、ウソとは人を偽る行為、正直ではない言葉、と理解したうえでの応用であり、
その根本を理解していないと、簡単に “悪意あるウソ” を言うようになってしまう…
そりゃ、誰だって都合の悪いことは隠しておきたいし、怒られることは偽って逃れたいと思う。
でも、平気でウソをつく子になって、心に後悔の念ばかりを抱いて欲しくない。

「ウソはいけないことなんだ」 これを学んでほしいから、おとさんは厳しく叱ります。

正直者はバカをみる? 正直者は損をする? 結構。ウソをついて得するよりまっとうだ。
損をしたり、悔しい思いをした分、親が愛情を持って力となればいい。

で、叱った分、よく褒めたり笑わせたり、身体を使って遊んだり絵本を読み聞かせ合ったり、
抱っこやらこちょこちょやらほっぺにチュー (w) 、幼稚園のお話しをしたり、お歌を唄ったり、
一緒にお風呂に入ったり、好きなアニメを見たり、時には怪獣になって戦ってあげたりと、
時間の許す限り、出来る範囲で、親子のスキンシップを忘れないように心掛けています。

これって、当たり前なんですけどね^^

褒めることも遊ぶことも叱ることも、今の “その子供の現状” を見ているという証し。
「君のことをちゃんと見ているよ」 という子供への姿勢は、親には絶対不可欠なものだから。

何より “子供の目を見ること”、そして “子供に笑顔を見せること” は大切なこと。

愛情不足や触れ合いの欠如、無関心や無自覚、他人任せ、放任主義といったことが、
少年少女の問題等が起こったときの家庭事情、事件背景としてしばしば聞かれる言葉です。
「仕事が忙しくて…」  「自分のことに手一杯で…」  「心に余裕が無くて…」

でもそれは、自分だけじゃない。自分だけが特別なんじゃない。誰だってみんな忙しいんだ。
そりゃ子供たちだって、日々忙しいんですよ?w (子供なりにいろいろと^^


…なんか偉そうなこと書いてますね^^; 自分で言っててどこまでできてるか怪しいもんだw
というか、しっかりできていないからこそ、記しておきたいと思うのですよね。
あとで自分自身が何度も読み返し、大切なことを忘れず、見失わないようにしたいから…


さて、今年もあと2日。大晦日はちゅぱおの誕生日だなぁ~♪

おかさん、今年もいろいろありがとうね。
ちゃんと感謝を言葉で示せていないかもしれない、行動で示せていないかもしれない。
でも、いつも想ってる。いつも感謝してるよ。

来年も、おとさんと子供たちを宜しくね^^

ちゅぱおとちゅぱみは、またひとつ大きくなったね~。
来年はちゅぱおは幼稚園の年長さん、最後の年。ちゅぱみはやっと本入園だね♪
いろんなことがあるだろうけど、ふたりの世界がいっぱい広がるように、おとさんも応援!
たくさん学んで、たくさん遊んで元気な一年を過ごそう!!

来年も良い年でありますように。

そして、当ブログに素敵なコメントをいっぱい下さった皆様にも、
良い年が訪れますように^^



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2008年を越える  


年末年始は、我が家はいつものごとく連日バタバタと忙しいw

12月29日に仕事納め。帰る途中に買い物をし、帰ったら明日の荷物を点検^^
12月30日の朝に帰省。飛行機、JRと乗り継ぐ。でも、その日に友人らと忘年会。
12月31日の大晦日は、親族揃ってちゅぱおの4歳の誕生日パーティ。嬉しい!!
1月1日は元旦だけど、昨年父さんが亡くなったので、今年はお正月は無し。
1月2日は昼に母さんと外食し、夕方に帰りのフライト。飛行機にも慣れたもんです^^
1月3日にはおかさん実家にご挨拶に伺い、一緒に日帰りで温泉に行きましたw

3泊4日+前後の年末年始のスケジュール。だいたい毎年この流れです^^


昨年、父さんが亡くなって、実家の有りようも少し変った。
母は間断なく仕事に精を出している。やっぱりその心境は複雑なんだろうね…
そして私の兄弟もそうだが、私自身も少し変化があったように思う。

成長と言えるかどうか分からないけど、永遠の別れは、やはり人に変化をもたらす。
それを今後、ちゃんとプラスにできるかどうかは、自分の心次第だろう…

昨年は “人の心を感じる” ということを様々な局面で痛感した一年だった。

表も裏も、喜も哀も、正も邪も、本当にいろんな人のリアルな一面を見た。
それを目の当たりにし、様々な感情が交錯し、一時はダメになりそうな時もあった。
どれだけ笑っただろう、怒っただろう、嘆いただろう、…そして、泣いただろう。

誰だって自分は大事。そんなことを声高に叫ばずとも誰もが本能で知っている。
でも人間とは “自分ひとりで成り立っているものではない”
自分が大切に思い、また自分を大切に思ってくれる人がいて、初めて存在する。

どこまでいこうとも、誰もがひとりではない。私はそう思う。

では、自分の存在を確かにするその大切な人に、自分は一体何ができるのか。
その日その時の相手の心をどれだけ感じ、どれだけのことをしてあげられるのか。

昨年、私はそれをあらためて感じ、表面化した様々な言葉や感情に振り回された。

私はそれを胸に刻み、決して忘れない。相手も忘れないでいて欲しいと切に願う。
それがいつか自分と、自分の大切な人の成長に繋がるだろうと信じているから…


また、昨年は我が家の結婚5周年でもあった。これもまた心を感じたことのひとつ。
おかさんの愛情を感じ、頑張りを感じ、苦労を感じ、そして将来への思いを感じた。

おとさんは夫として少々頼りなく、おかさんの様々な苦労に気付かないことが多い^^;
日々の忙しさに流され、ついなんとなく過ごしてしまう日々があったように思う。
特に体調の浮き沈みが多かった今年。そこを夫がしっかりカバーしてあげないと、だね。

反省。そしてただ反省するなら誰にでもできるので、今年は心機一転、頑張るぞ!

もちろん我が子ら、ちゅぱおとちゅぱみの成長もめいいっぱい感じた一年。
幼稚園入園、心の発達、兄妹としての意識、自己主張の芽生え…、ぐんぐん育つ。

31日、大晦日に誕生日を迎えたわんぱく息子。ちゅぱお、4歳の誕生日おめでとー!!
妙にしっかりしてきた感じだけど? でも、相変わらず甘えんぼw
ちゅぱみはどんどん言葉や行動が増えてきた。なにげに会話できるのが嬉しい^^

家族の成長やその思いを感じるたびに、自分ももっともっと成長しなければと思う。

だからこそ沈んだ心のまま、その成長を記録としてあげられなかったことを悔いる。
一生に一度の一年。本当は日常のあれこれをつぶさに残してあげたかった。
ふたりともごめんね。おとさん強くなって、君たちの毎日をもっと楽しくするからね。

おとさんは優しさと厳しさをもって、口先だけ表っ面だけではない確かな愛情を、
家族にしっかり感じさせていこうと、昨年にも増して強く心に誓った。
好かれ役も嫌われ役も全部おとさんでOK。叱った分だけぎゅっと抱きしめよう!

幸も不幸も人の運命なんて、いつどこで何が起こるか誰にも分からない。

でも土壇場で、溢れんばかりの大きな愛情で家族を包み込める人間になろうと思う。
飾ることの出来ないその瞬間、その刹那に、人の本心は浮き出る。
だから心の成長が必要なんだ。愛する者への “愛情の成長” が必要なんだ。

おかさんには “出会った頃よりも今”、子供らには “生まれた頃よりも今”
日々の愛情の進化をもって、さらに温かく幸せな家庭を築いていくぞ!!


…と、こうして一年を振り返りつつ、また今年への気持ちの引き締めをしつつ、
いつも考え過ぎ気味にもやもやとしているのが、おとさんの年末年始ですww

昨年、父さんが亡くなっているのでお正月的なご挨拶は控えさせていただきますが、
本年も変わらぬ温かい目で、この不定期育児日記を読んであげてくださいませw

ではでは、宜しくお願いします^^



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2007年の締め  


今年最後の日記となりました。
2007年は昨年にも増して、忙しかったような気がする…^^

自分の成すべきこと、その大きさ、深さ、重さ、難しさを痛感した年とも言える。
…と、こう書くと、どんなスケールのデカイことをしているんだよ、と思う?

ただ 「夫」 そして 「父親」 をしているだけですよ^^

今年、夫として妻に、どれだけのことをしてあげられただろうか?
今年、父親として子供に、どれだけのことをしてあげられただろうか?

おとさんは、たいしたことができなかったんじゃないだろうか…、と思う。

幸せにすると誓い、その誓いをカタチにするため、守るために、男は走り続ける。
暗い闇を明かりで照らし、深い霧を掻き分けるように、ただがむしゃらに走る。

家族の進むべき “未来への道” をその手で切り開くのは、夫であり父親の役目だ。
だから、一家の大黒柱は、自分自身に絶対の自負を持たなければならない。

揺らぎっぱなしで不安定な大黒柱など、一体誰が頼る? 誰が安心する?

「俺に任せろ!」 と言い切れる安心感、それを守る責任感、そして行動力、抱擁力…
夫であり父親とは、常にそういうものを “求められる存在” ではないだろうか?

極論かもしれない。でも、そう思い、そう語り、そう記し、そう生きることを、
おとさんは常に忘れないように、無くさないようにしたいと考える。

それは自分を鼓舞するため。家庭を、家族を導く者として、己の尻を叩くため。

長い人生、誰だってすごく楽しい日もあれば、どうしようもなく辛い日だってある。
成功と失敗、喜怒哀楽を繰り返して生きていく。人間なんてそんなもんだ。

泣かず、迷わず、悩まず、苦しまず、傷つかない一生なんてどこにもない。
七難八苦な毎日だからこそ、人は楽しく幸せに生きるために頑張るんじゃないか。

だから 「日々ヘコたれずに元気よく明日へと進む気持ち」 これが一番大事^^

しっかりしてなそうかもしれないけど…、でも、おとさんは日々頑張ってますw


ちゅぱおは今年、まさに魔の2歳児ストライク期間だった。
ええ、大変でしたw 話は聞かないし、言うことは守らないし、癇癪虫だし^^;

ちゅぱみは1歳を迎え、兄ちゅぱおにくっついて、これまたやんちゃに育った。
ええ、こっちも大変です。ちゅぱおに輪をかけて好奇心旺盛で騒ぎまくりw

でも、大変なのは当たり前、育児だもの。人を育てているんだもの。
親が感じる 「大変さ」 とは、子供が 「成長している」 証。

ちゅぱおもちゅぱみも、力一杯ぶつかって来い! おとさんは負けないぞーw
おとさんはふたりが何歳になろうとも負けない。常に強い父であり続ける!


そしておかさん。今年、一番苦労をかけたね、本当に力足らずでごめん…
妻であり、また母親という立場は、恐らく父親以上に大変なんだろうと思う。

おとさんが子守しようが、ご飯作ろうが、部屋を片づけようが、何をしようが、
それは “おかさん (母親) の仕事が出来ているワケじゃない” 。

常々、そう思う。

夫であり父親は、仕事してりゃいいってもんじゃない。稼いでるから偉いんじゃない。
大切なのは、「家庭を築くこと。家族を守ること」

外に出て仕事をして稼いで、それで家族を養っているんだからOKだろって?

男だったらそれでもいいだろう。独身時代にだってずっとやっていたことだ。
でも、家庭を持っても独身時代と同じことだけをやって、それでOKなわけがない。

ひとりの男と、ひとりの夫 (ひとりの父親) は、違う。

家庭は家族で築くもの。家族は夫婦で守るもの。一緒に頑張るからこその一家だ。

おかさんは一番大切なそれを、いつもやっている。休みなく毎日やっている。

奥さんが頑張ってくれているから、家庭が成り立っていることを忘れないこと。
それは旦那の最低限の使命だw

おかさん、今年もいろいろと本当にありがとうでした。
仕事に追われてバタバタしているおとさんだけど、もっともっと頑張るからね。
そして、来年はもっともっと楽しく、幸せになろう^^

来年もまた、いろいろとあるだろうけれど、ヨロシクね♪


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